2012-05-23

東北妄想旅行withママチャリ3日目

旅館でちゃんとした朝ごはんを食べながら考える。

とても、バランスの取れたきちんとした食事だった。

大体食べ終えて、昆布とわさびの和え物というちょっと変わった漬物を食べる。

おいしい。



昨日までは、あまりバランスの取れた食事はとっていなかった。

街道沿いはやたらラーメン屋ばかりだったし、朝ごはんはお菓子とかだったし。

なれない運動で頭はぼうっとしていたうえ、睡眠の場所も質も劣悪だった。

今思うとかなり体は不調和だったと思う。

ただ、そのときは必死だったしその状態が「いつもの」自分の状態だと頭が判断していた。

だが今日、ちゃんと布団で寝てしっかりと朝食をとると、体が驚くほどすっきりとしていることに気づく。

習慣として、知識として、観念として毎朝のきちんとした生活を続けることは良いことだと信じていた。

でも今回の旅に出て、そうしないと実際に体がどうなってしまうのか

ということが実感できた。

もしも僕が毎日毎日を完璧な生活バランスで生活していたら絶対にわからなかったことだろうと思う。

でも逆にその生活を続けることで得られるものもあるだろうとも思う。

つまり、人は何があっても何かしらは得ているのだ。

人には可塑性というものがあるのだ。

道端にねっころがろうが温泉旅館に泊まろうがそれを「いつもの」としてしまう力が確かにある。

そもそも人間の進化とはこの可塑性の獲得なんじゃないのだろうか。

絵を描いたり、金色の服を着たり、雪山にすんだり、砂漠でらくだに揺られたり

人間の脳みそがそれが「日常」であるという虚構を構築すれば人はその環境に適応してしまう。

人間の過度に肥大化した脳みその存在理由は

日常という虚構をありとあらゆる環境においても作り出してしまうためにあるのではないか。

それを多様性といおうか自由といおうか



ただ多様に生きられるということは生物にとってかなりの強みである。

恐竜は気温が下がったら一気に全滅してしまったが、人間は違う。

寒がりな人もいれば暑がりな人もいれば、米を食べる人肉を食べる人虫を食べる人もいる。

細胞レベルでいっても多様であるという強みはそのままあてはまる。

例えばウィルスというのは自らでは細胞分裂ができない。

だから人間の細胞に取り付いてそのエネルギーを使って繁殖する。

その取り付く際に細胞には鍵穴のようなものがあって、

免疫力の強い人はその鍵穴がより複雑になっているという。

まったく違う性格の人に惹かれたり「一目ぼれ」があったりするのは実はこのことが関係しているのではという説があって、

自分とはまったく違う鍵穴を持つ異性を(たしか鼻に受容体があったはず)無意識に探しているのであるという。

ウィルスといえば、エイズウィルスがやっかいなのは人の免疫細胞のなかの「ヘルパーT細胞」

というものに取り付くからで、

そもそも人の免疫細胞にはB細胞、キラーT細胞、マクロファージ・・・





鼻水どぶーーーーーーーーーーー!!!!!!





「あの」

「はい?」従業員のおばさん

「これって、・・結構辛いですね」

「そうですか?」

「いや、おいしいんですけど・・・まあ、こんなもんなんですかね」

「あ、でも時々わさびの塊にあたっちゃうことがあるんですよ」



それだ!




※          ※          ※




「あ、本当にただの自転車ですね」

「ええ、まあ(苦笑)」

「それではがんばってください」



旅館を九時半ごろに出発。

快晴。

昨日は襲い掛かってくるような闇だったが、本当に同じ場所だとは思えないくらいの風景が広がっていた。

遠くの山々まで見渡せて、車のCMに出てきそうな初夏の高原の景色。

昨日の夜に散々登った末にたどり着いた温泉なので、10キロほどずっと下りが続く。

小さな黒い虫がときどき顔に激突する。

この坂を昨日のぼってきたのかと思うとぞっとする。

そのまま坂を下り続け、ほとんど苦もなく福島市内まで到着する。

これから今日は山形との県境の峠越えなのでなるべく体力を消耗せずに行きたかった。

でも市内についたときはもう12時だった。コンビニでポカリスウェット1.5リットルを買う。

今日はかなり日差しがきついので水をおもいのほか消費する。

福島市内からは国道13号に乗り、米沢経由で山形に入る。

いよいよ日本海側に入るわけだ。

ここの峠が難所で、そもそも自転車が通れるのかどうか良くわからない。




ま、行ってみりゃわかるか。




目の前にそびえる連峰のでかさに思わず笑ってしまいつつ出発。

ママチャリで果たして越えられるのだろうか!




※         ※         ※




福島市内は思いのほかきれいだった。

でもところどころに

「放射能測定いたします    即日」

と書かれた看板があるのが印象的だった。

そうか、それが日常なんだ。




※         ※         ※



温泉に入ったとはいえ、足の疲労は隠しようがない。

また、容赦なく太陽が照り付け日焼けが痛い。

市内で買っておいたポカリスウェットがあっというまに減っていく。

登坂車線があるようなところはもうとてもじゃないけど登れないので、押して歩く。

しかしそうすると時間がかかる。

たまに見かける自動販売機があると必ずスポーツドリンクを買う。

あと、非常に助かったのがコンビニで買った「干し梅」

塩分、クエン酸等が補給できるため、常に舐めながら歩く。


いままでだったらのぼりの後には必ずくだりがあった。

それは関東が平野だからだ。

しかし延々と続く、上り坂。





あと、怖かったのはトンネル。

結局のところ自転車で通ってよいのかはわからなかったが、道幅狭いところなどは命がけだ。

こちらが壁ぎりぎりまで寄っても大型トラックとすれ違うときなどは数センチの空間しかない。

しかも止まるわけにはいかない。押して歩く隙間はない。

車が通り抜けるときの風圧で体がよろめく。

また、トンネルの脇にはごみが多い。

うっかり踏んでパンクなどしたら終わりだ。

万が一にでもペットボトルや空き缶につまづいたら命が危ない。




ずっと下を向きながら走る。

どんなに足が痛くても、走る。



いったいなぜトンネルに割れたホイールが捨てられてるの??

靴が片方とか。

もっとも長いトンネルは西栗子トンネル。

全長が2キロ超。

もっとも緊張した時間だった。






途中、あまりにもつらくて、ヒッチハイクを考えた。

しかし、このたびは絶対に自分の力だけでやりたいと思っていた。



でも、あまりにも暑い。辛い。いつまで登りが続くのか見当もつかない。



それに自転車まで乗せてヒッチハイクしてくれる車なんてあるのか?



ワゴンくらいなら、座席を倒せば乗せてくれるんじゃないか?




え、見ず知らずの人のために?






そんなとき、ちょうど荷物を降ろした軽トラックが向こうからやってきた。





ヒッチハイクも初めての経験なのだから、やってみても良いんじゃないか?




それは弱音だったのか

自分を正当化する言葉だったのか

僕はとうとう立ち止まり(この旅で休憩以外で止まったのは初めてだったと思う)

おずおずと手を上げた。





無視された






炎天下、僕は、取り残された。

一人だった。



上り坂をにらみつけ、

「あ゛ああああああ」という声とともにこぎだした。

しかし二回こいだ時点でもう限界に来てしまった。

歩いた。




※        ※        ※




西栗子トンネルが最高点だったらしく、どうにか峠を越えた。

そこからは「ふぉおおおおおう」と思わず声に出してしまうほどのくだり。



その開放感といったら



なんといえばよいのだろう。



これが多分旅の醍醐味なのだろうなって強く思う。


つらかった分のこの反発。




※         ※         ※




くだりが終わって万世大路をまた自転車を押して歩いていたところ、

目的地である山形に住んでいる友達の夫婦が反対車線から見えた。

車を出してくれたのだ。

僕はシートを倒して自転車とともにすし詰めにされながら本当に安堵した。

友人は僕の顔を見ながら終始ニヤニヤがとまらない。

そんなに疲れた顔をしていたかね?

車に乗りながら、そのあまりの速さに驚く。

あたりまえだけど自転車に比べて圧倒的に速い。

人間がなぜ車を作ったのか良くわかる。




車中で、しかし僕はじわりじわりと敗北感に支配された。

峠越えで疲れきっていたとはいえ、山形から米沢までは70キロほどある。

僕はそれをまるまる車で送ってもらったのだ。

ピックアップしてもらった時間は16時前くらいだったから、

自力でも今までのペースを維持すればたどり着けないこともなかったのである。


ずるをした、という思いがあった。


もちろん彼らの生活のリズムもあるし、なるべくはやい時間には到着してあげたかった。


それは不可能だったろう。



でも、



自分に負荷をかけ続けていたこの旅の行程を思うと


やるせない思いは、やはりあった。



※        ※        ※



いったん友人の家でシャワーを浴びて服を借りてから買い物に行く。

しかし、スーパーで僕はすでに意識が朦朧としていた。

自転車で移動していない自分が変な感じだった。

体の中をずうっと風が通り抜けているような感じ。

その感覚が離れない。


しかし、ご飯を食べながら、くだらない話をしていると徐々にその感覚が薄れてきた。

それとともにやたら咳と鼻水が出てきた。

おそらく疲労からだろう。

気が許せる場所にようやく来たのだ、と思った。

夫婦は先に寝て、僕だけがパソコンに向かい、ようやく書き終えた。

疲れた足を少しストレッチして、目を閉じると、すぐに暗くなった。



走行距離は吉祥寺からだと約350キロ





山形に、着いた。





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