2012-11-02

龍泉洞

先日、例によって一人旅で岩手県の龍泉洞に行ってきた。

龍泉洞は日本三大地底湖の一つで、その透明度は世界一を誇る。

本当は2泊3日で盛岡周辺も回るつもりだったけれど、バイトに入らなくちゃいけなかったりして

結局1泊の旅となった。

龍泉洞は盛岡からもバスで2時間ほどかかるので、(しかも本数は日に4本)

本当にただ龍泉洞にいって帰ってくるだけの旅になった。

チケットは往復の新幹線とホテル代がコミコミで安くなっているものを買ったので、

帰りの新幹線の時間も指定されていて、本当に時間的余裕がなかった。

まあ正直なところ龍泉洞以外に盛岡で見たいものもなかったので、もったいないような気もするけど、

そこのところは微妙に意識操作をして旅立った。




行きの新幹線の車中ではやばいかなぁやばいかなぁと思いつつ、詩に手を出す。

ボルヘスはたいしたことなかったけれど、ウィリアム・ブレイクという英国の詩人に打たれた。



打たれた。と言っていい。圧倒的なヴィジョンだった。

そうかこれが詩人か、と嘆息する。


しかし、福島県を越えたあたりで、新幹線のチケットが盛岡よりも手前の北上までのチケットであることに気がつく。

まあ路線上ではひと駅ふた駅なのでさして問題はないかと思う。

それよりもウィリアム・ブレイクだと、再び取り掛かる。






※                 ※               ※





北上は東北の空気だった。

あの、どこか陰鬱で物寂しい空気が駅を出た僕を包む。

岩手第二の都市だと聞いていたけれど、やはりこの寂しさは東北ならではだ。

とりあえずホテルにチェックインしてから、街をぶらぶらする。

かなり寒いことを聞いていたので、防寒用のジャケットやマフラーをカバンに詰めてきたが、

面倒なので着てこなかった。




街をぶらつきながら、今日は何を食べようか思案する。

ごりごりの地元の飲み屋に突入するのもいいし、あえてラーメン屋とかに行くのもいいし。

作品のことを考えたり、自分のことや過去のことを考えたり、内側の言葉がどんどん肥大していく。


東京の人ごみの中では決してこういう状態になることは無い。

2時間ほどぶらついてほとんど人とすれ違わない地方都市ならではの状態だと思う。

この空気に馴染まないうちははっきり言ってとにかく寂しさに心細くなる。

一人できたことを後悔する。

誰かにメールをしたくなるし、電話をしたくなる。

自分が新しい土地にいることを、いつもの土地にいる人間と会話することで再認識したい。

そうやって自分のつながりをとかく強調したくなる。

根無し草であることは、それなりに苦痛なのだ。






でもそれに慣れてしまうと、どこまでもどこまでも自分の内側に没頭できる宝物のような時間が待っている。




人ごみの中ではいやが応にも思索が遮断されてしまう視線や、会話や、音楽が何もない。




どこまでもどこまでも、自分の何倍もの大きさに思念が肥大していくのがわかる。

ばれやしない、とわかると精神はどこまでも伸びやかに広がっていく。

それが、僕の一人旅の醍醐味かもしれない。








※                 ※                ※



結局入ったラーメン屋さんは別に普通の味で、しかも頼んだ餃子に頼みもしないエビが入っていた。

僕は半泣きで平らげたが、やはり盛岡まで電車で出て行って冷麺でも食うべきだったかと後悔する。

ただ、電車の時間を調べて愕然とした。




本数がすっくない。



東北の電車を舐めていた。

このあたりは車がないと本当に生活が厳しいことを改めて思い知る。

以前自転車で山形まで行った時は時刻表なんぞ見なかったから、また東京の感覚になっていた。

あわてて明日のバスの時間に間に合うような電車を検索する。

バスの出発が盛岡発9;40なので(龍泉洞に到着は11:52)

それに間に合うような電車を探したが、運良く9;12着の電車があったので一安心。

ただ、それをのがすとまた一時間ほどまたなくてはならず、

そうすると次に龍泉洞に行くバスは12時発車になり、

龍泉洞から帰りのバスが盛岡につくのは18時くらいになる。

新幹線のチケットは危惧したとおり北上出発になっているので、

盛岡から北上までのチケットを買い足さなければならない。

これは結局安くなってはいないんじゃないかと脳裏を考えがよぎったが、苛立つだけなので
またも意識操作をする。



夜が深い。

地元で買った地酒の日本酒を煽りながら、夜の街をそぞろ歩く。

さすがに寒くなってきたが、ホテルにいちいちとりにいくのも面倒だ。

なんとなく足の向くままに北上川に出る。

東北の、ねっとりとした圧力のある、それでいて広大な夜の中で、北上川が流れていた。

かなり大きな河のはずだがあまりに闇が濃いため全貌が見えない。

おそらく、昼間に来たらそうとういい景色だろうと推察する。





ただ、夜は川は姿を変えるのだと気づく。


一度川面に降りようと思ったが、引きずり込まれるような妄想が浮かんでやめた。




明らかに夜の川には魔力がある。





質量のありそうな闇を見ながら、漠然と「暴力」という言葉が浮かぶ。






暴力




なぜかはよくわからない。

しかし目の前に浮かぶ闇にあらあらしさはみじんもない。

痛くも痒くもない。でも、浮かんでは浮かんでは消えなかった。


暴力








※             ※            ※




次の日、ぼくは呆然と盛岡駅のバスターミナルにいた。



今の時刻



9:41。



清掃のおばちゃんに声をかける。

「あの、龍泉洞に行くバスってもう行っちゃいましたか?」



五分前。

9:36バスが到着。

乗り込もうとした時に気がつく。








うんこしたい











っつうか、これは下痢ですね。この痛さ。












素早く車中を見る。夜行バスではないのでトイレの設備はない。

これで二時間はきつい。無理だ。負ける。うんこに負ける。



僕はトイレに走った。





3分でして、1分で帰る。




一瞬、大して乗客もいないのでちょっとだけ運転手さんに待ってもらおうと言おうと思ったが、

ひとまずトイレに走る。







そして、




「あ、さっき出ちゃいましたよバス」






おばちゃん!!!




あ、おばちゃん関係ないや。あたってどうする。

ま、僕のうんこも出ちゃったんですけどね、って言おうとして、やめる。

そんなことしたら自らの切なさに自死してしまいそうだ。

っていうか本当に運転手さんに一言いっておけばよかった。

途方にくれる。

みどりの窓口に聞いたところ、指定席の時間変更ができないとのこと。

たぶんホテルの宿泊券とセットになっているためだろう。



ううううううううんんんん。


ここまで来て龍泉洞を見ないで帰るのはやりたくない。

かといって電車が通っている場所でもない。

まさか乗車5分前にこんなミラクル・ストマクエックがくるとは思っていなかった。



僕は眦を決して、バスのチケットを払い戻しタクシー乗り場に向かった。




「あの、龍泉洞ってどのくらいかかりますか?」

「え、龍泉洞ってあの龍泉洞?」

「はい」

「うーん、乗せたことないけど、・・・・・まあ2時間かそころかなぁ」



となると今すぐ出発すれば、バスと大して変わらない時間に到着するはずだ。



「あの、料金は・・・・?」

「いや、よくわかんないけど・・まあ1万5千か2万くらいかなぁ・・・・?」



大散財だな。



でも決断は早くしなければ。



「わかりました。ありがとうございます」


僕はなるべく無感覚になってお金をおろし、次のタクシーで龍泉洞に向かった。

心の中でまた無駄金使ったぞーと騒いでいる奴がいるが、また考えないことにする。





※           ※           ※





1万5千でようやく龍泉洞にたどり着いた。

本当は2万をゆうに越えていたはずだが、タクシーのおっちゃんと二時間くらい

わきあいあいと喋っていたら、だまってタクシーのメーターを止めてくれた。



ありがとうおっちゃん。


車内では東北の大震災に始まり、実に様々な話をした。

最近では一日働いて1万5千ももらわないことも多いらしい。

でも、ありがとうおっちゃん。



一段と空気が、冷える。

周りには本当に龍泉洞以外何もない山である。

ちょっと雨が降っていた。





龍泉洞内部は、見事な鍾乳洞だ。

気温は一年を通じておよそ12℃。湿度は98%。

触れたことのない空気に心が踊る。

胎内じみた狭い通路を抜けると、ごうううと凄い音を立てて地下水が流れている。



その透明度。



凄まじい透明度。



ここに落ちたら絶対に助からない気がする。


いくつかの地底湖を経て、ようやく一番深い地底湖にたどり着く。

東日本大震災で一時期透明度が落ちたらしいが、それも落ち着いている。




どれくらい透明かというと、80m下まで一円玉が見えるくらいに透明。



あいにく前日の雨で水滴が激しく湖面を揺らしているため、うまく水底が見えない。


よっぽどゴーグルをつけて直接中を覗き込んでやろうかと思った。







一般公開されているのはここまでだが、奥にはさらに深い泉があることが推定されている。

しかし、あまりに危険で、調査開始から40年たってもまだ完全に解明されてはいない。

一件透明に見えるが、壁の表面に付着した堆積物は少し触れただけでもくもくとダイバーをおおってしまう。

そなると右も左も上も下もわからなくなり、パニックになって酸素をいたずらに消費して、

やがて窒息して永遠にこの泉から出られなくなる。






僕は、この透明で冷たい世界に、死んだダイバーがひっそりと浮かんでいる姿を想像した。


どこまでもどこまでも透明な世界に、動かない死体がひとつ。





何か恐怖とともに憧れに似たような感情がせり上がる。



僕は周りに人がいないことを確認して、一円玉を取り出して、泉に投げてみた。



ゆらゆらと左右に揺れながら、一円玉が降りていく。

時々証明を鋭く反射させながら、なるほどどこまでも落ちていく。





ずっと見えている。





透明度が高いということは、貧栄養湖であるということである。

つまり栄養がない、生き物がいないということである。

徹底的に死の世界なのだ。

だから腐敗も進まないのではないだろうか。


この徹底した死の世界に嫌でも惹かれてしまうこの生命の気持ちはどこから来るのだろう?













※              ※              ※




新幹線に乗って都会に近づくにつれて、だんだんもとの精神状態に戻っていく。

思念の幅は徐々に狭くなっていき、新宿に着く頃には大体身の丈と同じくらいに収まっていく。


本当はこの岩手旅行のことは書く事をせずに、次の作品に活かそうと思っていた。

でも書いてみて、僕があの地底湖で感じたことは全然踊りにも変換できると思った。

書く事と踊ることは違うのだろう。

まあだし口の問題だと思うけど。


また、暇になったら旅に出よう。

2012-09-25

かたまり

怒涛の9月が終わった。

何が怒涛かというと本番ががっつり二つあったのだ。

ひとつはかえるP。もう一つはグラインダーマン。

どちらも全く違った作品で、とても経験になった。


最近、自分が以前より変化しているなあと感じることが多い。

特に感受性・・っていうとよくわからん。

影響を受けるものと受けないものが変わってきた。



例えば夕焼け

以前は夕焼けを見るのがすっごい好きだった。

特に今の季節。

でも今は違う。

見ているとずるいなって思う。

ほとんどすべての人が感傷的になるなんてずるいじゃないか。



でも今日久々に夕焼けを見て心が

ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃってなった。

悲鳴じゃなくて

吹き抜けるような、音。ひぃっぃっぃぃぃっぃっぃぃぃぃいっぃぃいぃ。


そんで、保育園のころ好きだった女の子にばったり出くわした。



彼女は当時フリルを着ていた。

僕は彼女というよりも白いフリルが好きだった。

フリルの不規則な波型にただよう香りが好きだった。

ほかにフリルをきている子はいなかったのだろうか?

いたかもしれないけど、記憶にない。

だから多分彼女が着ているフリルじゃないとダメだったのだ。


保育園をいま外から見るとなんて自由に遊んでいるんだと思うけど、

実は全然自由じゃない。

お絵かきしなきゃいけないし、歌を歌わなきゃいけないし、寝なきゃいけないし。

本当に好きに遊んでいられたのは夕方以降だった。


小さいきのこのおうちの中に居た。

彼女は何事かをずっと話していた。

僕は話していただろうか。でも相槌くらいじゃないだろうか。

僕は子供の頃から相槌を打っているという自覚があった。

何故か校舎と同じくらい大きな鳥小屋があって、太陽は見えなかった。

でもそらが染まっていた。


でもやっぱり彼女が好きだったんだろう。

フリルが好きだったけど、あの時間が好きだったんだろう。

あの、「ガちっ!」とはまる感覚。

時間に、場所に、なんの狂いもなくあてはまる感覚。




夕、焼け



目の前を通り過ぎていった女の子はフリルは着ていなかった。

青い色のアメを舐めていた。


いったい何味だったんだろう。

2012-07-09

古谷くん

旅先で古谷くんと再会した。

旅といっても神奈川にちょっと原チャで行くくらいのことだったけれど。

古谷くんはとてもよくしゃべる。

現在はブリヂストンの営業部で毎年トップ成績だった彼の先輩が起業したベンチャーの会社にいる。

といってもタイヤ関係ではなく、企業の中だけで出回るような社内誌の出版の仲介業をしている会社だ。

隙間産業のようだが儲かるのかと聞くと、なかなかに儲かっているらしい。

あくまでも仲介業なので印刷所のような設備投資は必要ないし、数社と契約することでリスクを分散しているので大丈夫だと言う。

必要なのは顧客の信頼を勝ちうるためのコミュニケーション力だと言う。

古谷くん自身も大会社の重役やらと飲みに行ったりしていろいろ話を聞いたりしている。

最近はゴルフを練習し始めたが、一度は三菱重工の部長とラウンドを共にして一本100万のアイアンを握ったときは手が震えたという。

その先輩から自分でも起業しろと勧められていて、でもまだ人脈と資金力が足りないので機をうかがっているとのことだった。

僕は彼の話に時々相槌を打ちつつ、セブンイレブンの前でおごってもらったアセロラウォーターを飲んでいた。

彼は中学の時に一緒の学校だった。

明るくてルックスがそこそこ良くて、運動全般ができて、誰とでもしゃべれる感じのタイプの人だった。

10何年かぶりに再会したのに、見知らぬ街で気安く声をかけてきたのも古谷くんらしい。

そしてつかまったらとことんしゃべりだす。

あと、ボディータッチが結構多い。

僕は聞いているだけで時々ちょっとした相槌を打つだけで長々と喋ってくれるので、楽だ。


会社の話から、服の話、自分の将来の話。

際限なく話は移り変わっていく。古谷くんの口から滝のように言葉が僕に降り注ぐ。

中学の頃に彼は最初、一番不良っぽいグループにいた。

それがいつの間にかもうちょっと大人しいグループにいた。

卒業する頃にはできれば相手にしたくないと誰からも思われていた。

僕は時々彼につかまるとやっぱり今みたいにずうっと話を聞いていた。



ある時彼は当時流行っていたゲームソフトをいち早く購入した。

みんな彼のゲームの進捗状況を知りたがった。

でもこばやし君という人が同じゲームを購入し、悪戯をしかけた。

そのゲームの中には存在しないアイテムのことを語りだした。

そうしたら古谷くんも「あぁ、それねそれね」と言ってありもしないアイテムのことを語りだした。


あるとき彼はいち早く携帯電話を手に入れた。

大学生に知り合いがいると言ってトイレに入っていった。

僕の友達が上から覗き込むと携帯をもっている体で虚空に向かって話しかけていた。



古谷くんは病的に嘘つきだ。

彼は一見すると明るくて「いけてる」感じの空気をまとっている。

だが、彼は最初こそみんな親しく話すものの、すぐに飽きられる。

内面にはまったく実がないことがすぐに露見してしまう。

だから嘘をつく。

というか、一番最初に話すときにかならず自慢混じりの嘘をついてしまうのだ。

そうするとその嘘を成立させるためにまた嘘を重ねなければならず、

彼の言葉は異様なほど空疎になっていく。




だから僕に話したことも全て嘘だ。



古谷くんにはこれといった取り柄がない。

なんでもできるように見えるが、実は何一つ抽んでたものがない。

本当に賢い処世は正直に全て言ってしまうことだ。

でも古谷くんは自分の失敗を隠す。嘘で、隠してしまう。

嘘を成立させるために別の嘘を用意し、その向こう側にもっと嘘をつく。

最終的に一歩も進めなくなる。

そして嘘が露見した場所から逃げる。

寂しいから別の場所に行く。

そこでまた小さな嘘をついてしまう。

繰り返す。

真心とかそういうあたたかいものからもっとも遠い存在である。



そして同じく僕にも全く真心というものがないので

全部嘘だとわかった上で相槌をうっている。

僕の言葉にもまったく実がない。

なのに呆然としてどうしても彼から離れられない。




つらくない人なんてこの世にはいないだろうけど。

よくないよくない。

こんなふうに話しているのはよくない。

でも彼のいる地獄が僕にはわかる。

古谷くんが救われる道はないものか。





彼のいる地獄は特級だ。




2012-05-24

東北妄想旅行withママチャリ 最終日

朝の七時半に目が覚めた。

いつものようにシャワーで足をほぐしながらルートを確認。

昨日でだいぶ距離を稼いだので、今日はかなり楽に帰れるはずだ。

今まで酷使してきた足を入念に揉みほぐした。昨日は終盤膝が無視できないくらい痛くなっていたし。

朝食付きだということで下に降りたら、意外にもご飯食だった。

でもやはりサラダを大量に食べる。

食事は、ホテルのロビーの一角にスペースが簡単に設けられていて、テレビもあった。

そこで本当に久しぶりに朝ドラを見た。

こうやって少しづつ日常に帰っていくのだなぁと思う。

部屋に帰って、身支度をして、出発する。

出発する前に鏡を見ると、一週間前に比べてずいぶんと日焼けをした。

髪の毛の色も黒がだいぶ落ちてきたし、ピアスしてるし、

途中寒さから購入した590円の白いパーカーを着ると、完全に地元のヤンキーだ。


そういえば、咳と鼻水が止まらないので最近は濡れタオルをおでこに乗せて寝ている。

顔が日焼けで熱を持っているので、これは二重に気持ちがいい。

今日もひたすら17号を南下。

都市部に入るとちょっと道が複雑になってくるが、迷わないように大きな道を選ぶつもりだ。

なんにしても、今日が最終日。

怪我だけは避けなくては。





※            ※            ※




本日は雨の予報である。だからあらかじめカッパを着て出発した。

その予想通り、出発して1時間ほどでさらさらと雨が降り始めた。

だが、予想外。



膝が痛い。




昨日は終盤でひどくなったが、今日になると昨日よりもっとひどくなっている。



筋肉痛ならば我慢ができるが、どうももうちょっと厄介なもののようだ。

ほぼこいでいる時間の8割を立ちこぎで過ごす僕にとっては膝の痛みは

致命傷だ。

しかたなく主に座ってこぐことにする。

基本的に平野なのでまだ良かったが、これで峠だったら地獄だったろう。

そうして、田舎ではありえなかった障害がやはり都市部では出てくる。



それは





おばあちゃんだ。






たぶんチリンチリンが聞こえにくいのだろう。

なかなかどいてくれない。

車道を走ろうとするも国道沿いなので車の往来が激しく思い切って出られない。

脇を歩いていたと思ったらいきなり道の中央部に切り込んでくる

バルセロナのシャビばりのパフォーマンスを披露。

その度に急制動。膝にダメージが蓄積されてくる。

雨だというのによくであるくなぁ。



おばあちゃんはいるのに。

おじいちゃんにはなかなか出会わない。

地球上に男と女はほぼ同数のはずなのに。



おばあちゃんばっかりと出会うのはなぜ?




※         ※         ※




    チリンチリン

おばちゃん「角谷さんね、それはきちんと言わなくちゃだめよ」

角谷さん「そうねぇ。でもきちんと言うっていってもね」

    チリンチリン

おばちゃん「私だってそりゃね、まあ、責任はとれないわよ」

角谷さん「責任って何よ」

おばちゃん「いや、責任ていうかね」

角谷さん「私だってせきに・・・」

    チリンチリン

角谷さん「んとろうなんて、とってもらおうなんてそんなこと考えちゃいないわよ」

おばちゃん「あっはっは」

    チリンチリン

角谷さん「あっはっは」

おばちゃん「責任てなによねぇ?」

角谷さん「ねえ?」

    チリンチリン

角谷さん「あっはっは」

おばちゃん「あっはっは」

    チリンチリン

おばちゃん「あっはっは」

角谷さん「あっはっは」

僕「あの、すいません」

角谷さん「え、ああ」

おばちゃん「あ、ごめんなさいね」





そういって、角谷さんは右に



おばちゃんは左によけました。




クロス







道幅変わってねえからあああああああ





※          ※          ※




17号のバイパスに入ると、ただひたすらに道が続くだけで

周りには店もなにもなくなってくる。

道の両脇には草地が広がるばかりなので、雨では休むこともできない。

バイパス沿いは田舎よりも飲み物その他を補給するのが難しい。

結局8時30分に出発して、12時あたりまで休憩が一度も取れなかった。

そのせいなのか右膝の痛みはよりシリアスなものになっていて

とうとうこらえきれずに国道を離れてガストに入った。



どうしてもフルーツパフェが食べたかったのに、

注文したのが和菓子で、どうもその辺の紆余曲折が思い出せない。

運ばれてきたスウィーツを前に一人で首をかしげる。



この頃になるともう自転車を降りて歩くのも辛くなってきていた。

椅子に墜落するように座りながら、ぼんやりと筋肉の回復を待つ。


雨はしつこくしつこく降りしきり、確実に体温を奪っていく。

昨日までだったら立ちこぎで平野部など楽に走行していたのに

膝の痛みからそれができない。

そのために予想以上にペースが遅かった。


もう東京は目前だというのに、たどりつかない。

もはや靴は歩いたらちゃぷちゃぷ言うほど。


雨にうたれる、というのは想像以上に気分を沈ませるものだった。

もしかしたら精神的にはこの旅の中で最終日が一番辛かったかもしれない。






※         ※         ※




雨に打たれると、体が冷える。

冷えると、トイレが近くなる。



しかし、こんなに都市部だというのになかなかコンビニもスーパーもない。

冷えるし、焦るし、膝は痛いし、小さい路地から車は急に出てくるし、

とうとうガソリンスタンドの入口で転倒した。

とっさに出した膝がまったく体重を支えきれずに顔面を強打。



雨はやまない。



何が起こっても、


しとしと、しとしと



しとしと、しとしと




やまない





※          ※          ※




東京に入ってからも実に長かった。

「すぐだ」という先入観からだろうか、なかなか着かない印象があった。

それと、意外にも都市部の方がアップダウンが激しいこともわかった。

立ちこぎは右膝が使えないため、主に左膝を重点的に使う。

そうしていたらこんどは左膝も痛くなってきた。

もはや座りこぎでも痛みは続いている状態で、坂や、信号で止まるたびにストレッチをする。

それでも間に合わない。

一度こぐたびに



きり




と右膝が鳴る。

つぎの一こぎで



ぎり




と左膝が鳴る。

日が落ちると、車の往来はより激しくなり、人も多くなる。

余計にスピードが落ちる。

顔を歪めながら、フードを目深にかぶった男がひた走る。

雨に打たれるというのは実際的なダメージ以上に、効いてくる。



自分がみじめに思えてしまうのだ。

このみじめさは強敵だ。

じょじょに体を蝕んで、活力をそいでしまう。

必死に考えないようにする。自分の姿を脳裏に描かないようにする。


それでも前に進まないと終わらない。




実にシンプル。




東京都に入ったというのに

こんなに晴れやかでない県境越えは初めてだった。




※         ※          ※


夜の20時。


吉祥寺に帰って来た。




いつの間にか雨が小降りになっている。




僕はフードを取ってよく街に目を凝らした。



現実感がない。


自分は本当に、ここに、いるだろうか?

もうひとりの自分は、今も、

秋田あたりを走っているのではないだろうか。

実際にそういう自分が存在しているような気がしていた。

なんだかふわふわしている。

夢の中にいるようだ。



しかし、実に東京は人が多い。

こんなに狭い場所に、こんなにもたくさんの人が、

それぞれの欲望を持って暮らしている。

こんな目の回りそうな環境の中で僕は普段生活していたのか。

人、人、人。

一体なんの目的があってここにいるのだろうか。





※         ※          ※




吉祥寺のレンタサイクルのおじさんに自転車を返す。

随分酷使したなぁ。

最後の最後まで、停車させる時のカシャンってやつがうまくいかなかった。

彼とも偶然出会ったのだが、まさかこんな目にあうとも思わなかったろう。

でも、彼にとっても初めての経験だったろう。


誰かが新車で買って、たくさん使われて、道に捨てられて、それでも拾われて、

スクラップにされずにレンタサイクルとなった。

そんで僕と山形まで行ったんだ。

愛着なんて今まで全く感じなかったけど、僕はおっさんに頼んで一緒に写真を撮ってもらった。



ありがとうね。

もうたぶん僕が乗ることは一生ないだろう。





※         ※         ※



電車に乗っている時も、まだ現実感がなかった。

今になって雨に打たれていた震えが止まらない。



そして、都市で生きることの圧倒的な不自由さを感じる。

もちろん旅の途中もたくさん不自由があった。

寝る場所は見つからないし、

いきたいところにいくにもものすごく時間かかるし

雨を遮る屋根がない。飲み物がない。病院がない。時には布団がない。


でも、手足を伸ばしたり、意味もなく笑ったり、深く考えたりする自由はあった。

限りなくあった。


それが満員の電車では一切許されない。

たった15センチ先にあるつり革すら掴めない。

自転車ならば半日かかる距離を一時間で進みながら、

車両にいっぱいの不自由を抱えて電車は毎日走る。



毎日。




深く、疲れた。







※           ※           ※






死んだように眠る。

協力してくれた人たちや、出会った人たちひとりひとりを思い出しながら。







※            ※           ※



この日記はネット環境がなかなかないことと

まあ疲れきって眠ってしまったこともなどもあって、

清書は23日と24日にまとめてしてしまった。

ただ、下書きは一応携帯にその都度その都度書いておいたので助かった。

今回は旅とはいっても、たった六日間。

それもほぼ国道沿いだったから、父に言わせるとそこまで景色に変化はなかったらしい。

確かに、まったく脇道にそれる余裕はなかった。

観光も全くしなかった。

ただ、ただ、ひたすらに目的地にむかって前進しただけだ。


今回は新潟まで車で送ってもらった分を抜いて、往復で約700キロ。

平均で自転車をこいでいた時間は13時間。

でも、宿泊代などは節約したので費用は2万くらいですんだだろうか?

レンタサイクルも一日200円だったし。

まあでも膝の状態を考えるともっと休憩は取るべきだった。

それにやはり一日早く帰ってきてよかった。

足の状態を考えるともう一日は厳しかったろう。


次は、県道だけで

行ってみようか。

やっぱりママチャリで。

もうちょっと休みを取って。

もっともっとより困難になるだろうけど。


もう次の旅に出たくなっている。

あんな思いしたのになぁ。

でもアホ旅行はこれからもしていきたいな。


とにかく、





やったぜ!と思っています。

東北妄想旅行withママチャリ 5日目

朝。

思ったよりも寝坊しないで起きる。

やはり足がかなり痛いので、シャワーでほぐしつつ本日の行程を確認する。

ただただひたすらに国道17号を南下。

そのあいだには最大の難所の三国峠がある。

今日のうちに越えられるか、そうしたら群馬まで出られて、うまくすれば一日早く家に戻れる。

まだ鼻水は出るし、少し咳も出る。

でも、ま、大丈夫。

峠を経験すると平地の行程がすごく楽に感じる。

なるべく峠に入るまでの平地で時間を短縮したい。

今度はもうピックアップの車はないし、もちろんヒッチハイクもしない。

午前8時30分

二度目の峠越えに出発!!





※         ※         ※





本日は快晴。

やはりかなり暑いので水分を消費する。

しかし、何か昨日よりも進みが悪い気がする。

こう、気持ちよくペダルを漕いでも自分の予想通りの距離が稼げない。

疲れだろうか。

それもあるかもしれないが、おそらくは風だろうと思う。

向かい風が強いと思いのほか重く感じるものだ。

峠を超えるまではずっとこの向かい風に悩まされることになる。


また、僕の自転車の乗り方はほかの人とちょっと違っていて、

遅いスピードの時でも、たぶん乗っている時間のほぼ8割くらいのは立ちこぎである。

これは昔からそうで

逆に座りながらこいでいる方が疲れる。

でもだから風の影響を強く受けたのかもしれない。

それが終盤になって思わぬ形でダメージが出てくるのだけど。




※          ※          ※




新潟は、日本のテキサスだ。



なんーもかんーもが



デカイ



まず田んぼがでかい。半端じゃない。さすが米どころ。

あとなんか全部建物が縦にでかい。さすが雪国。

あとコンビニの駐車場がでかい。コンビニ本体の何倍の敷地使ってるんだ。

あとパチンコ屋がでかい。

本当にでかい。

何と比較すれば良いだろうか。

えー

新宿三丁目にあるMARUIのビルくらいあります。

本当ですよ。だって6階建てくらいあったもん。


しかし一番でっかかったのはスーパー

その名も「プラント」




でかすぎる



自転車で通り過ぎるのに5分くらいかかったよ。

スミソニアン博物館ってこんななのかな。



いるだけで半日つぶせるわ。



僕はアメリカ行ったことないけど

兄貴に聞いたテキサスの印象と似ている。


日本のテキサスだよ。

あと、朝ごはん食べたかったのにほとんどの店が11時じゃないと空いてなかった。

3時間くらいなんも食わずに走っていた。


あと、お客さんいるのに農作業に出て行っちゃうのやめよう。

お会計できないから。




※        ※        ※




峠はやはり行きよりも辛いことになった。

以前はなかったヘアピンカーブの連続にはまいった。

登坂車線がでれば降りて歩かなければいけないし、

ちょっとゆるくなったと思ってこぎ出しても強い風に押し返される。

午後2時の段階で1.5リットルのポカリスウェットが2本空になった。

峠といえどもいつかはコンビニくらいあるだろうと思っていたのが間違いだった。

一つタイミングを逃すと絶望的なくらい飲み物が手に入らない。

たまに自販機を見つけるとためらわずスポーツドリンクを買う。

もはや、お茶などでは飲んだ気がしないのだ。

水には塩分が適量含まれていないと吸収率が悪いというのは本当だ。

お茶を飲むなら一緒に干し梅を食べなきゃダメだ。




※         ※         ※




苗場のスキー場あたりが一番辛かった。

へピンカーブはまだ曲がっているからゴールが見えないが、

ひとつの街道の脇にズラッと宿が並んでいるような道は

よりその長さが強調されているようで歩いていて辛い。

あと、あれは季節的なものであの閑散とした具合だったのだろうか?

ほとんどのホテルがシャッターがしまっていたりした。

あの静かな場所にも、冬にはたくさんの人が集まるのだろうか。

雪に沈んでこそ活気の出る街なのだろう。

僕は周りの景色が圧倒的な雪の白に覆われるさまを想像した。

その時に踏みしめた無数の足跡は雪と一緒に溶けていってしまうのだろう。

あるいっときの時間だけ、人が集まって、また引いていく。

それをこの街は延々と繰り返しているのである。

毎年来る人も、もう苗場を知り尽くしているぜなんて人も、

それでもこの初夏の苗場はしらないのだろう。

よそ行きの顔をかぶる前の、素顔の苗場を。



それはもしかしたら全ての都市の宿命をギュッと凝縮してるんじゃないか。



初夏の苗場というのもなかなか

詩情のようなものが漂っていたなぁ。




※           ※           ※





大体登りの半分くらいまで来た時に、ちょっと雲行きが怪しくなってきた。

明日は確か雨のはずだったが、まあ山なのでこういうこともあるかときにしていなかった。


さて、トンネルは幅が3.5mしかない。そこをトラック同士がすれ違ったりしている。

やっぱりトンネルは押して歩いている暇がない。

毎回入口で気合を入れて突っ込んでいく。


しかし、トンネルを抜けてみると、そこは土砂降りだった。

今まで暑かったのもあるので、一時的なものだろうかとも思ったがそうでもない。

仕方なくまたカッパを着て走る。


泣きっ面に蜂とはこのことだなぁとか思っていたが、不思議なことが起こった。



あれ、足が辛くない。

ぐんぐん登れる。


多分なのだけど、雨で足が冷やされたのだ。

筋肉は酷使すると熱を持って関節が動かなくなってくる。

それを冷やすことによって以前のように動くようになるわけだ。


怪我の功名だ。


しかし、気温は27度から一気に15度まで下がった。

前も見にくくなって、困難なことに変わりはない。





※         ※          ※




地獄のような登りをようやく終えて、峠の頂点にある猿ケ京温泉にたどり着いた。

この時17時。

前橋まではあと60キロ。

このペースならば今日のうちに群馬に入ってしまうことも可能だ。

そうしたら一日早く家に帰れる。

気温はすでに13度。昼から考えると寒暖の差が14度ある。

降りしきる雨。

美しい赤谷湖の景色もそっちのけで

それでも僕は気合を入れ直してペダルを漕ぎ出した。





※          ※          ※




ようやく群馬に入ったときはすごい達成感であった。

本来二日かける道のりを強行してやったかいがあった。

峠は登りを終えればあとは天国の下りだけである。

「関東は平野」と頭の中で思っていたので、もう前橋は目の前だくらいに思っていた。



だが、実はもう一つ峠が残っていたのだ。

沼田を越えて、渋川あたりだろうか。

まさかぁまさかぁと自分の考えを否定しきれない登りが来た。

もうやけくそでおりゃああと登りたいのだが、



群馬、街灯が、ない。



なぜこんなにかたくなに街灯を作らないのか。

しかもとなりには「ごうううううう」と鳴っている利根川。雨で水量が増えている。

ガードレールは50センチくらいしか高さがないから、下手をすると落ちる。

ここに来て死ぬのは嫌だ。

ママチャリのライトなんて微々たる明かりだから、

時たま通る車のライトで照らされた景色をたよりに進む。

前橋の煌々とした街明かりがふもとに見えたときは思わず叫んだが、

一向に近くなっている気がしない。

そもそも街灯が少なすぎるから、

遠くの明かりが必要以上に近く見えたのではないだろうか?

それは平野に入っても同じだった。

見えているのに、なかなか近くならないのでちょっとやきもきした。

それと、その頃からどうにも右の膝が痛くなってきた。

筋肉ではなく、膝の内部が痛んできたようだ。

早めにストレッチをしなければ。




※         ※         ※




晩飯は、豪勢に焼肉に行った。

今日は、僕は頑張ったろうと。

ご褒美だと。

ていうかもう肉が食いたくて食いたくてたまらなかった。

特に何も考えず、見えた店にそのまま入る。

割とチェーンっぽい店だったのになんでかお客さんは僕ひとりだった。

もしや不味いのか?と心配したが、そんなことはなかった。(と思う)

もはや肉ならなんでもうまい状態だったかもしれないが。

やはり、食べる量は半端じゃなく増えている。

焼肉屋は大体が2人前くらいのサイズで商品が来るが、まったく問題なし。

二人だけだったし、店員のおばちゃんと話をする。

おばちゃんの息子さんも自転車で旅に出たことがあるらしい。

息子さんは1っヶ月かけてそれこそ北海道まで回ってきたらしいが。

今回の旅を経てわかったが、観光なども兼ねて自転車で東北を回る場合は

やはりそのくらいを覚悟しておかなければならないだろう。

旅に出ているとすぐに次の旅の計画が浮かぶ。

作品を作っている時に次の作品のことをつい考えてしまうのと一緒だ。




※         ※         ※




前橋についたときは1時。

こんどもネットカフェではなく駅前の東横インに泊まる。やはりビジネスホテルの中では群を抜いて安い。

それに、今日はしっかりと寝たかった。

今日の行程は峠越えも含めで160キロ強である。

およそ16時間は自転車をこいでいたのだ。

今日のうちに前橋につけたので、間違いなく明日は東京に帰れる。

3日の行程を一日早くくりあげたのだ。

達成感が胸をいっぱいにする。

凶暴な眠気をおさえてしっかりとストレッチをする。

明日はいよいよ最終日だ。





この旅も、終わるのか。




余韻に浸る間もなく、昏倒するように眠った。




2012-05-23

東北妄想旅行withママチャリ 4日目

山形に住む友人夫妻の家に泊まらしてもらっている。

しかし朝の5時ごろ、僕は突然激しい咳と鼻水に襲われて目が覚めた。

ひとまず湿潤な空気を求めてシャワーに入る。

体も固まっていたのでぬるめの湯が気持ちよかった。

何度かうがいをするとだいぶ気分も良くなり、再度足のストレッチをしてから寝た。

喉が荒れているのはずっと街道沿いを走って排気ガスを吸いすぎたためだろうか、

咳は疲れが出るとしやすいから、まあ肉体的なサインだろうと思う。

風邪ではないが、筋肉疲労と咳と鼻水は割りとシリアスなレベルで

もうもしかしたら旅は続けられないかもなぁと思いながら意識を失った。




朝の10時ごろようやく目が覚める。

主人のほうはなんと朝の3時くらいにおきて市役所で仕事をしてきたという。

結婚式の準備とかもしているのに

そんな忙しい中泊めてもらって本当に感謝しています。

二人とも大学時代4年間ほぼ一緒にいたので、

会えば当時の関係にいきなり戻れるのがうれしいし、本当に心が和む。

朝ごはんをだらだら3人で食べていると、なんとも言えず、平安だった。




※           ※            ※




その日の午後16時、僕たちはチャリとともに米沢街道の道の駅に居た。





当初の計画では、一日山形に滞在するつもりだったし肉体的にも1日休息が必要だろうと思っていた。

ただ、帰りは絶対に行きとは違うルートで帰りたかった。

つまり山形からまわって新潟に出て、群馬から東京に行くルートになる。

しかしいざそのルートをじっと吟味して考えてみると、時間が足らないのだ。

峠は福島から行くよりもより険しくなるし、まず山形から新潟に入るまでがかなり長い。

つまり、今日にでも出発しないと間に合わない。

全行程を一週間でまわるつもりだったし、その次の日には予定が入っていたので長居はできない。

冨樫(主人)は新潟の玄関口の新発田というところまでならば夜に車を出して送ってくれるという。

そこまでなら車でそんなに時間がかからないからだという。

申し訳ないが、そこまでの峠を車で送ってもらえないとたぶんたどり着けないだろう。

しかし、グーグルマップで検索をかけると新発田までもかなりの距離だった。




今日は日曜日なので、まっとうな仕事をしている二人は明日出勤だ。

つまり、車を出してもらうなら今日しかない。

今日遊びほうけるという選択肢もある。

そうなると自力で3日のうちに帰るのは不可能だから、宅急便で自転車を送り、僕は新幹線で帰る、ということになる。

そうなると後二日も二人と遊んでいられる。

せっかくだから二人とはもっと遊んでいきたい。

体調も(かなり)思わしくないし。

お金はかかるけど自転車を東京まで送ってしまうこともできる。

そうすればもっとだらだらできる。

むしろ自転車なら3日の道も、新幹線ならたった数時間の旅なのだから。

まだまだし足りない話がたくさんある。




このまま、ここで、旅を終わらせてしまおうか。




でも僕は、何故か、あんな思いをつい昨日までしていたのに、もう走り出したかった。




旅に出なきゃ




僕は二人に「ドライブに行こう」と提案し、新潟まで、今すぐに行こうと促した。

せめて車中で、したりない話をたくさんしておこうと思った。

目的地だった彼らの家をまるで中継地点みたいに使ってしまった。

でも彼らは全然そんなこと気にしない様子で、自転車を後ろに積んでくれた。


本当に本当にありがとう。



なんでそうまでして僕は流れていたいのだろう。

理屈ではないのだな。

僕は到着して次の日の昼に、もう旅に出ていた。





※            ※            ※




結局夫妻は新潟駅まで僕を送ってくれた。

出発したのが午後13時で、到着が17時。

車でさえそんな時間がかかるのだから、自転車だとやはり一日だろう。

駅前でご飯を食べ、明日も朝早い夫妻はそのまま帰るという。

車中ではたくさん話をしたが、やっぱりしたりない。

別れるときになって話したいことがたくさん思い出されるのは何でなんだろう?

今生の別れではないし、すぐまた今週末に東京に来る。

でもなんでだかいつもとは違う寂しさに包まれていた。


なんでこんな馬鹿みたいなことに付き合ってくれるんだろう。

徹頭徹尾、なんの意味もない僕のこのわがままに。

本当にありがとう。




※          ※          ※



帰りの計画。

新潟は広い。というか僕は東京の感覚で市とか町とかの広さを予想していたので、

栃木や福島では手痛いしっぺ返しをくらっていた。

地方都市の「となりまち」は時として絶望的なくらい遠いことがある。

東京都を抜けるのは恐ろしく簡単だったが、

栃木を抜けるのは相当大変だった。

だからおそらく全力を出しても新潟を抜けるには2日かかるだろうと予想。

今日の夜のうちに距離を稼いで明日は峠の真下辺りまで行く。

そして次の日に峠を越えて群馬県に入り、そこから最終日は東京を目指す。

そう計画していた。



ご飯を食べて夜19時、

僕は新潟駅を出発した。

新潟はどこまでもどこまでも田んぼが続く。

かえるの声がいつまでもついてくる。

山と違って、平野の闇はあつかましくない。



今晩までにもしも長岡までいけたらかなり楽になるはずだった。

しかし新潟駅から70キロくらいあるのでまあこの時間からだと難しい。

ま、その辺も適当に構えて。

いけるところまでいっちゃえとペダルを漕ぎ出す。




ところがどうしたことだろう。


驚くほど、疲れが取れている。



ぐんぐん進む。



まだ、夫妻の家のぬくもりが体の周りにもやの様に霞んでいる気がする。

暖かい、暖かい空気だ。


ああ、そうか、彼らは僕の力になったんだ


彼らが居るってだけで僕は元気になれたんだ。





いい友達をもったなぁ





胸に迫るって、こういうことなんだ。



ちょっと泣いた。




※         ※         ※



国道8号をひたすら南下。

ずっと平野が続いたということもあって、なんとそこから70キロの長岡まで着いてしまった。

長岡はいかにも地方都市の繁華街といった風情で、駅前は栄えていた。

しかし、意外と漫画喫茶がない。

せっかく来た道をかなり戻らないといけない。

経費はなるべく削減したかったし、自分への挑戦もこめて漫画喫茶に泊まろうと考えていたのに。

しかたなく、駅前の恐ろしく安いビジネスホテルに泊まる(一泊3500円)

確かに室内は恐ろしく狭く、アメニティもない。

徹底的なコスト削減をしている感があった。



24時、シャワーを両膝に当てながらこれからのルートを考える。

今日長岡まで着いたとはいえ、逆にペース配分が難しい。

峠の途中の猿ヶ京温泉というところまで明日は行ってみようかと考えた。

もう一回くらいせっかくだから温泉に入りたい。




うーーーーーん



ま、峠しだいかな。

でも予約はしておいたほうが安心だろうか。





うーーーーーーーーん



面倒だ。



行ってみりゃわかるだろう。

ホテル入れなかったらまた野宿しよ。



昨日ようやく腰を落ち着けたと思ったのに、

もう僕は違う場所で寝ている。




山形の冨樫夫妻に僕はもう一度感謝をしつつ、眠りについた。




明日は、また峠だ。

東北妄想旅行withママチャリ3日目

旅館でちゃんとした朝ごはんを食べながら考える。

とても、バランスの取れたきちんとした食事だった。

大体食べ終えて、昆布とわさびの和え物というちょっと変わった漬物を食べる。

おいしい。



昨日までは、あまりバランスの取れた食事はとっていなかった。

街道沿いはやたらラーメン屋ばかりだったし、朝ごはんはお菓子とかだったし。

なれない運動で頭はぼうっとしていたうえ、睡眠の場所も質も劣悪だった。

今思うとかなり体は不調和だったと思う。

ただ、そのときは必死だったしその状態が「いつもの」自分の状態だと頭が判断していた。

だが今日、ちゃんと布団で寝てしっかりと朝食をとると、体が驚くほどすっきりとしていることに気づく。

習慣として、知識として、観念として毎朝のきちんとした生活を続けることは良いことだと信じていた。

でも今回の旅に出て、そうしないと実際に体がどうなってしまうのか

ということが実感できた。

もしも僕が毎日毎日を完璧な生活バランスで生活していたら絶対にわからなかったことだろうと思う。

でも逆にその生活を続けることで得られるものもあるだろうとも思う。

つまり、人は何があっても何かしらは得ているのだ。

人には可塑性というものがあるのだ。

道端にねっころがろうが温泉旅館に泊まろうがそれを「いつもの」としてしまう力が確かにある。

そもそも人間の進化とはこの可塑性の獲得なんじゃないのだろうか。

絵を描いたり、金色の服を着たり、雪山にすんだり、砂漠でらくだに揺られたり

人間の脳みそがそれが「日常」であるという虚構を構築すれば人はその環境に適応してしまう。

人間の過度に肥大化した脳みその存在理由は

日常という虚構をありとあらゆる環境においても作り出してしまうためにあるのではないか。

それを多様性といおうか自由といおうか



ただ多様に生きられるということは生物にとってかなりの強みである。

恐竜は気温が下がったら一気に全滅してしまったが、人間は違う。

寒がりな人もいれば暑がりな人もいれば、米を食べる人肉を食べる人虫を食べる人もいる。

細胞レベルでいっても多様であるという強みはそのままあてはまる。

例えばウィルスというのは自らでは細胞分裂ができない。

だから人間の細胞に取り付いてそのエネルギーを使って繁殖する。

その取り付く際に細胞には鍵穴のようなものがあって、

免疫力の強い人はその鍵穴がより複雑になっているという。

まったく違う性格の人に惹かれたり「一目ぼれ」があったりするのは実はこのことが関係しているのではという説があって、

自分とはまったく違う鍵穴を持つ異性を(たしか鼻に受容体があったはず)無意識に探しているのであるという。

ウィルスといえば、エイズウィルスがやっかいなのは人の免疫細胞のなかの「ヘルパーT細胞」

というものに取り付くからで、

そもそも人の免疫細胞にはB細胞、キラーT細胞、マクロファージ・・・





鼻水どぶーーーーーーーーーーー!!!!!!





「あの」

「はい?」従業員のおばさん

「これって、・・結構辛いですね」

「そうですか?」

「いや、おいしいんですけど・・・まあ、こんなもんなんですかね」

「あ、でも時々わさびの塊にあたっちゃうことがあるんですよ」



それだ!




※          ※          ※




「あ、本当にただの自転車ですね」

「ええ、まあ(苦笑)」

「それではがんばってください」



旅館を九時半ごろに出発。

快晴。

昨日は襲い掛かってくるような闇だったが、本当に同じ場所だとは思えないくらいの風景が広がっていた。

遠くの山々まで見渡せて、車のCMに出てきそうな初夏の高原の景色。

昨日の夜に散々登った末にたどり着いた温泉なので、10キロほどずっと下りが続く。

小さな黒い虫がときどき顔に激突する。

この坂を昨日のぼってきたのかと思うとぞっとする。

そのまま坂を下り続け、ほとんど苦もなく福島市内まで到着する。

これから今日は山形との県境の峠越えなのでなるべく体力を消耗せずに行きたかった。

でも市内についたときはもう12時だった。コンビニでポカリスウェット1.5リットルを買う。

今日はかなり日差しがきついので水をおもいのほか消費する。

福島市内からは国道13号に乗り、米沢経由で山形に入る。

いよいよ日本海側に入るわけだ。

ここの峠が難所で、そもそも自転車が通れるのかどうか良くわからない。




ま、行ってみりゃわかるか。




目の前にそびえる連峰のでかさに思わず笑ってしまいつつ出発。

ママチャリで果たして越えられるのだろうか!




※         ※         ※




福島市内は思いのほかきれいだった。

でもところどころに

「放射能測定いたします    即日」

と書かれた看板があるのが印象的だった。

そうか、それが日常なんだ。




※         ※         ※



温泉に入ったとはいえ、足の疲労は隠しようがない。

また、容赦なく太陽が照り付け日焼けが痛い。

市内で買っておいたポカリスウェットがあっというまに減っていく。

登坂車線があるようなところはもうとてもじゃないけど登れないので、押して歩く。

しかしそうすると時間がかかる。

たまに見かける自動販売機があると必ずスポーツドリンクを買う。

あと、非常に助かったのがコンビニで買った「干し梅」

塩分、クエン酸等が補給できるため、常に舐めながら歩く。


いままでだったらのぼりの後には必ずくだりがあった。

それは関東が平野だからだ。

しかし延々と続く、上り坂。





あと、怖かったのはトンネル。

結局のところ自転車で通ってよいのかはわからなかったが、道幅狭いところなどは命がけだ。

こちらが壁ぎりぎりまで寄っても大型トラックとすれ違うときなどは数センチの空間しかない。

しかも止まるわけにはいかない。押して歩く隙間はない。

車が通り抜けるときの風圧で体がよろめく。

また、トンネルの脇にはごみが多い。

うっかり踏んでパンクなどしたら終わりだ。

万が一にでもペットボトルや空き缶につまづいたら命が危ない。




ずっと下を向きながら走る。

どんなに足が痛くても、走る。



いったいなぜトンネルに割れたホイールが捨てられてるの??

靴が片方とか。

もっとも長いトンネルは西栗子トンネル。

全長が2キロ超。

もっとも緊張した時間だった。






途中、あまりにもつらくて、ヒッチハイクを考えた。

しかし、このたびは絶対に自分の力だけでやりたいと思っていた。



でも、あまりにも暑い。辛い。いつまで登りが続くのか見当もつかない。



それに自転車まで乗せてヒッチハイクしてくれる車なんてあるのか?



ワゴンくらいなら、座席を倒せば乗せてくれるんじゃないか?




え、見ず知らずの人のために?






そんなとき、ちょうど荷物を降ろした軽トラックが向こうからやってきた。





ヒッチハイクも初めての経験なのだから、やってみても良いんじゃないか?




それは弱音だったのか

自分を正当化する言葉だったのか

僕はとうとう立ち止まり(この旅で休憩以外で止まったのは初めてだったと思う)

おずおずと手を上げた。





無視された






炎天下、僕は、取り残された。

一人だった。



上り坂をにらみつけ、

「あ゛ああああああ」という声とともにこぎだした。

しかし二回こいだ時点でもう限界に来てしまった。

歩いた。




※        ※        ※




西栗子トンネルが最高点だったらしく、どうにか峠を越えた。

そこからは「ふぉおおおおおう」と思わず声に出してしまうほどのくだり。



その開放感といったら



なんといえばよいのだろう。



これが多分旅の醍醐味なのだろうなって強く思う。


つらかった分のこの反発。




※         ※         ※




くだりが終わって万世大路をまた自転車を押して歩いていたところ、

目的地である山形に住んでいる友達の夫婦が反対車線から見えた。

車を出してくれたのだ。

僕はシートを倒して自転車とともにすし詰めにされながら本当に安堵した。

友人は僕の顔を見ながら終始ニヤニヤがとまらない。

そんなに疲れた顔をしていたかね?

車に乗りながら、そのあまりの速さに驚く。

あたりまえだけど自転車に比べて圧倒的に速い。

人間がなぜ車を作ったのか良くわかる。




車中で、しかし僕はじわりじわりと敗北感に支配された。

峠越えで疲れきっていたとはいえ、山形から米沢までは70キロほどある。

僕はそれをまるまる車で送ってもらったのだ。

ピックアップしてもらった時間は16時前くらいだったから、

自力でも今までのペースを維持すればたどり着けないこともなかったのである。


ずるをした、という思いがあった。


もちろん彼らの生活のリズムもあるし、なるべくはやい時間には到着してあげたかった。


それは不可能だったろう。



でも、



自分に負荷をかけ続けていたこの旅の行程を思うと


やるせない思いは、やはりあった。



※        ※        ※



いったん友人の家でシャワーを浴びて服を借りてから買い物に行く。

しかし、スーパーで僕はすでに意識が朦朧としていた。

自転車で移動していない自分が変な感じだった。

体の中をずうっと風が通り抜けているような感じ。

その感覚が離れない。


しかし、ご飯を食べながら、くだらない話をしていると徐々にその感覚が薄れてきた。

それとともにやたら咳と鼻水が出てきた。

おそらく疲労からだろう。

気が許せる場所にようやく来たのだ、と思った。

夫婦は先に寝て、僕だけがパソコンに向かい、ようやく書き終えた。

疲れた足を少しストレッチして、目を閉じると、すぐに暗くなった。



走行距離は吉祥寺からだと約350キロ





山形に、着いた。





2012-05-20

東北妄想旅行withママチャリ 2日目

結局24時間営業のネットカフェに滑り込んだ。

でも起きたときに僕は軽い肩倒立みたいな形になっていた。

どういう状態かというと、本来足を置く台みたいなのに頭をおいて

背もたれに足を投げ出していた。

これは昨夜薄れゆく意識の中で

「心臓よりも高い位置に足を置いておいたほうが疲労がとれる」

と思ったからだ。

あと、壁一面に昨日で濡れた衣服がかけてあってやたら部屋が蒸れている。

その状態で不覚にも9時くらいまで眠ってしまった。

ただ、起きた時点でまだ外は雨だったので

あったかいスープなどを飲みながら時間をつぶし、

雨が上がってから出発したのがすでに11時。ま微妙に上がってなかったけど。

朝ごはんは前日に餃子屋さんでもらったお菓子と、道の駅で買っておいたトマト。

でもトマトはその存在を完全に忘れ去っていたためかばんの中でぐっちゃぐちゃになってた。

「でも、味、成分その他は変らないよね」

と思って食った。ビタミンビタミン。

今日の予定は那須塩原の温泉に入ることと、福島まで行くこと。

当初の予定では今日にも山形に着く予定だったが

昨日の平地での走行距離と、また県境の峠越えなども考慮して福島で一泊することにした。

足の疲労は思ったほどでもない。

さて今日も出発だ。目指せ福島。


※      ※      ※

今日もただただひたすらに国道4号を北上。

ただ、ちょっと高低差が出てきた。

これは辛い。立ちこぎで無理やり上る。

そして寒い。気温が12度くらいしかない。これって東北の平均?

そしてちょっと走って気付いた。

福島まで143キロ。

これは那須塩原に寄っている暇はないのでは?

昨日の限界で140キロくらいなのだから、むしろ福島にたどり着くのも難しい。

計画変更。福島周辺で、かつ温泉に入れる場所を探す。

ちょうど岳温泉という温泉郷の「扇や」という旅館が空いていた。

値段も手ごろで、温泉もある。しかもチェックインが21時までと遅い。

早速電話をして予約。

昨日風呂に入ってないのでなにが何でも温泉に入るぞ!と心に決める。


場所をちゃんと調べなかったこと



これ短慮。



あとで泣きを見ることになる。



※      ※      ※

昼食に、もう中華料理屋は嫌だと思ってえり好みする。

もう胃があれまくっているのである。

ちょうど定食屋がみつかる。

入ると客がおれしかいない。

食ってみて分かった。

まずいからーーー。



※       ※       ※

街道沿いの変な店。

ハム

ロース 

カルビ

バーコン


バーコン!?

「あの」

「ああい?」おばちゃん

「これって・・・」

「あベーコンだよ」

「はあ」

「ときどきねえ、それだけ聞きに来て帰る奴がいるんだよまったく」

じゃあ

直せば良いのに。



※     ※     ※

変な地名。

大玉

新大玉



元新大玉



うるせえよ!




※      ※      ※

ただひたすら国道4号を北上する。

しかし、福島に入ってすぐ、白河のあたりが非常に辛い。

一つの峠だったのだ。

強烈なアップダウンの連続で嫌がおうにも体力が奪われる。

また、雨だった。

10年もののカッパはほとんど雨を防がない。

体は冷えるし、先の見えない峠で余計疲れる。

もう、絶対に温泉に入ることだけが望みだった。

那須塩原の温泉に入っている暇などやはりなかったのだ。

それどころか、福島にさえたどりつけるかさえ自信がなくなってきた。



体が動かない。


なのに全然目的地には着かない。



自転車は借り物だから放置していくわけにも行かない。



なんでこんなことやってるんだろう。

なんでこんなことやってるんだろう。


もし、あとに引ける状況だったら引いていただろう。

ただ、行かなきゃ行けないから行くってそれだけだった。



※      ※      ※

午後20時。

目的地の「曲がり角」までのこり5~6㌔のところで少し余裕が出た。

峠越えでなんか勘違いを起こした僕の足の筋肉は、

普通の道で必要以上のポテンシャルを発揮して進んでいた。

もう脂っこい食べ物は嫌だと(結局定食はしょうが焼き定食だった。まずかった)

思っていた僕に飛び込んできたフレーズ

「サラダバー」

それだああ!

生野菜だああ!

何のお店か分からないがひとまず駆け込む。

とんかつのお店だったがなんと一つ頼めば

サラダバー、ごはん、お味噌汁、お惣菜、漬物、ゼリー

全て食べ放題である。(チェーン店だったが名前失念)

僕はメニューが来る前にサラダを二杯まるまる平らげた。

メインのとんかつは4切れくらいだったが、ご飯を2杯、お味噌汁を3杯、

サラダをさらに2皿、お惣菜を3皿、さらにジュースを4杯飲んだ。

やはり食べる量が尋常ではなく増えている。



店員の太ったお姉さんとちょっとだけ話しをする。

彼女の店でのあだ名は「珍獣」らしい。

一目見た瞬間から明るくてとても好感の持てる人だと思った。

福島弁は温かみがあるので話しているだけで和んでくる。

「私はね、そんなたび無理ですよ。ダメなんですよねぇ。自分になんか・・えー」

「負荷?」

「そう、負荷をかけるのが。すごいと思いますよお」

見送りに着てくれた。なんかでっかいぬいぐるみとともに。

「えっと、これは・・・?」

「クマです」

「いや、それは見れば分かるんですけど」

「ほら、応援してますよお。『おい、がんばってくれい』」

「あ、本当だ」

「ねえ、」

「じゃ、いってきます」

「はい。頑張ってください」

たぶんお姉さんのがずっとすごいよこんな旅に出なくても。すごい作品創らなくても。

国を変えなくても。

触れた人みんなに元気になってもらうことがすごく好きで

それをなんの恥ずかしげもなくやってしまうほうが。

きっと彼女自身にもいろんなことは沢山あるのだろうけど。

そして僕が見たのはほんの一面だろうけど。

でもそのときの疲れきった僕には本当にありがたかった。

決して名前が語り継がれることはないのだろうけど

偉人だろう。


※      ※      ※

人はなぜ飯を食うか。

エネルギーを得るためだ。

疲れたら腹が減る。だから補給する。

言葉にすると陳腐だけれど

このことを肉感として知るということができたのは大きい。



※      ※      ※

ようやく今日の温泉までの県道の曲がり角に来た。

このときすでに21時47分。

チェックインは21時までだったけど、電話をしといたから大丈夫。

「岳温泉   ここから10キロ」



ん?


10キロか。


遠いな。あと一時間くらいかかるじゃん。


この曲がり角にさえ来ればあとは楽勝だと思っていたのに

まあ、でもあとちょっとじゃん!

温泉だ温泉!



※      ※      ※

道が、暗い。

1メートル先が見えない。

ねっとりとした、闇。

明かりは本当に自転車に付いたライトだけ。

こわい。

しかもここにきて今までで最大のアップダウン。


辛い。でも止まれない。ライトが消える。こわい。でももう辛い。こわい。



一漕ぎごとに、ひざが「ぺり」という音を立てる。

足首もひざも、本当に動かないから、腹筋を使って、全体重をかけて、こぐ。

たまに影が横切る。自分か。誰かいるのか。

道をはずれているんじゃないか。

車くらい旅館が出してくれればいいのに。

これだけ遅れてるんだから車くらい出してくれればいいのに。

自転車で来ているのが分かっているんだから車くらい。

車くらい。

車くらい。

なんで出してくれないんだ。あたまおかしいんじゃないか。

今考えるとどうしようもない想念ばかりが胸をよぎる。

本当に本当に長かった。おそらく今までで一番辛かった時間だった。

目印のファミリーマートが見えた瞬間には

「つ、ついたあぁぁ」

という声が漏れた。自分でもびっくりするくらいの情けない声だった。

でも腹のそこから出た。

旅館に着くと、チェックイン時間から2時間もおくれたのに

とても親切に対応してくれた。

朦朧とした意識の中、温泉に入り、

部屋に着いた。



「ふ、布団だぁあぁ」



貪った。

2012-05-18

書き忘れ

ちなみに昨日の走行距離は約140キロ。まあそんなもんか。平地だし。

旅とは、自らに限界を課すものだと思った。

久しぶりな感覚。

大人になると知らず知らず自分のできる範囲に収まろうとしていたのだ。

もっとがむしゃらだったころが思い出される。

東北妄想旅行withママチャリ 1日目

ついに始まりました。

かねてより計画していて、昨日あたりから(なんかもうやんなくて良いんじゃないか?)

なんて思っていたあの計画です。

「東北妄想旅行」

それは山形に住む友人宅(場所はうろ覚え)に

東北各地をまわりながら各地で妄想しながら向かうというたびである。

ついおととい母さんに

「あんた旅行行くの?」

と聞かれ、反射的に

「明日から行ってくる」

と答えたのがきっかけです。

なんも準備してませんでした。まず電車で行くのか徒歩で行くのかすら決めていませんでした。

ただ聞かれたから反射的に答えただけで、きっかけなんて案外そんなもんなのかもしれません。

僕は本当に優柔不断で、なんらかきっかけがないと本当に一人で何もできないやつです。

だからこそ、一度やり始めたらもう「後に引けなくなる状況」に自分を追い込むのです。

おとといの時点で僕に「後に引けない状況に追い込もう」という意識はあったのでしょうか?

たぶんなかったと思います。

ただ、折々でどうにも短慮なところのある自分は結果的にそうなってしまうことが多いのです。

実はすごく優柔不断なくせに短慮だからなんか突拍子もないことを時々してしまうのでしょう。

まあとにかく、

今僕は結果的に引けない状況にいます。

なにがなんでもやりきるしかないのです。

というか引くも地獄、行くも地獄といったあたりです。

だっていまママチャリで宇都宮に来てるのですから。




※         ※         ※



僕の移動方法はママチャリに決めた。

理由はやっぱり簡単。歩くと時間がかかりすぎるし、京都にいたとき自転車がすごい快適だったから。電車だとじぶんにかかる負荷が少なすぎる。

というわけで僕は5月17日の12時、吉祥寺でレンタサイクルに行ってママチャリを借りた。

これ、レンタサイクルって書いてあるけど区が放置自転車を貸してるだけ。

だからもうブレーキは利かないわ車体は曲がってるわのひどいもの。

一応ギアはついてるけど5回転くらいしないと変わってくれない。

これで山形に行くのは無理なんじゃないか・・・?と思うがそこが僕の短慮なところ。

「これで峠を越えるのは難しいなぁ。・・・?いや、難しいのかな??あ、そもそも峠はあるのかな?でもギアついてるしいけるんじゃないのかな・・。うーん、ていうかやったことないんだからわかんないじゃん。つらいかどうか。まあやってみりゃわかるか。うん、やってみりゃわかるわ。これにしちゃおう」

ルートとしてはまず吉祥寺を出発して、外環道に出る。

そこから東北自動車道の下道をたどってひとまず山形までたどり着こうと思った。

さあ、なんか何が待ち受けるのかよくわからんけど出発だ。

まあ良いよ。いっちゃえいっちゃえ!



※       ※      ※



吉祥寺を出発してすぐ、石神井のあたりである。

前方にスーツを着たミスターオクレの若いころみたいな人が汗を拭きながら歩いていた。

僕がオクレの左脇をのんびりと通過しようとしたところ、不思議なことが起こった。

オクレが僕の横にずっといる。



・・・・?



え、なんでダッシュしてるのオクレ?



なんでかはよくわからないがオクレヤングは僕の自転車に抜かされまいとダッシュをしている。

狭い道なので電信柱とかがあると思わずオクレヤングを前に出してしまう。

なぜかかれは抜かされたくないらしい。

しかもこっちを見ない。

わざと腕時計を見たりして偽装工作までしている。

そのうち絶対なってない携帯をとりだして「はい、いま急いで向かっています」とか言い出している。

どこのお得意様だ。

ていうかなんなんだよ!ガキか!ついてくんな!

僕は非情にもスピードを上げて彼を抜き去ることにした。

そして抜き去る瞬間かれは確かに

「チィィ!」

と言った。

オクレは汗だくだった。僕もちょっと疲れた。



※       ※       ※


外環道に出たはいいけど、そのあとちょっと迷った。

地図にある場所と実際の標識の地名が違うところもあり、旅慣れしてない自分が悪いのだ。

でもさ、あのせんべいで有名な「草加」くらいは標識に書いてよ。

「原町3丁目」じゃねえよ。地元民に重点を置きすぎの看板を作ってんじゃねえ!

僕のなかで埼玉は「クソ埼玉」のレッテルを貼られることとなった。

結局東北自動車道に沿うかたちの国道4号線をひたすら北上することにした。



※      ※      ※



宇都宮まで86km

その時点ですでに16時。たどり着ける距離なのか検討もつかないが、走り出す。

いちおう今日の目標は栃木まで行くことだった。

ただ、ただ、ひたすらに一本道。

上り勾配、下り勾配。まれに側道が消えることがあると反対車線にまわる。

ただ、ただ、ひたすらに、こぐ。

春日部を過ぎたあたりから、あたりは田園風景が広がるばかり。

こぐ、こぐ、こぐ。

時折みえる看板で、宇都宮までの距離が1kmずつ減っていく。

本当にすこしづつ、距離は縮まっていく。

でもただ、ただ、こぐ。

途中で利根川の雄大な流れに目を奪われる。

川というのは怖いもんだ。

あれだけ大きな川だと、ひとつの流れの中に実はたくさんの小さな流れが実はある。

何かの加減で、逆行したり、左に寄れたり、よどんだり。

でもそのすべてが「もちゃっ」という音とともに全体の大きな流れの中に飲み込まれる。

夕暮れだった。

まだ宇都宮までは50キロある。


日が暮れると気温がぐっと下がってきた。

友人からの報告で福島は雨だということだったが、なんとも雲行きが怪しく、不安だ。

田園風景は続く。

かえるの声が規則的に響く。

タイヤが時折はじく小石が闇の中に消えていく。

もう妄想もクソもあったものではない。

気づいたのだが、筋肉は限界に近づくと逆にその収縮運動を止められなくなる。

たまに自販機によろうとすると膝が笑ってまっすぐに歩けなくなる。

歌を歌って気分を変えたりした。

最後のほうはAKBの「エブリデイ カチューシャ」になっていた。

そのあたりでようやく


宇都宮市街地

という表示が出た。

今日は何が何でも餃子を食う!!

そのときすでに20時30分。

あらかじめ目星をつけておいた餃子屋は23時まで。

それは営業時間か!そうしたらL.Oは22時30分か!

残り23キロ。

間に合うのか!!!



※      ※      ※

間に合いませんでした。

宇都宮市街地に着いたのがぎりぎり22時30分だったけど、そっからまあまよった。

5~6回コンビニの店員さんに道を聞いたけど、

気が立っているのもあったし、疲れきっているので判断力が鈍っていた。

とうとう23時になり、もはや自転車をこぐ気力もなくしとぼとぼ歩いていた。

そしたら頭に何かごつっとあたった。

なんだろうと思って下を見ると無数の白い粒。雷鳴。一陣の風。



雹だ



「いやいやいやいや」

思わず天に向かって突っ込む。

そのとたんにバケツをひっくり返してなんかじゃおさまらない

剣山のような雨が降り始めた。

僕はあわててトンネルにもぐりこみ、合羽を着こんだ。

そうとうな土砂降りと落雷で、しばらくは動けそうにない。

しかし、僕の中からは不思議なパワーが沸いていた。



今日は絶対野宿してやる。



こんなことでへこたれていてたまるか。最初に決めたことは何が何でもやりぬくのだ。

そこで、無駄だとは思いつつも23時以降でも入店可能な餃子屋を食べログで探す。

あった。

しかも駅から程近い。

僕はあめが小ぶりになるのを待ってから、ようやく、ようやく餃子にありついた。

僕が頼んだのは餃子とマーボー丼だったが、どちらも相当なボリュームで食べきれないかと最初は思った。

でも、僕はあんなにおいしい餃子を始めて食べた。

まるで大学生のころのような食欲で僕は二つを軽々と食べきってしまった。

一口食べるごとに、それがそのまま筋肉になる気がした。

酢をいっぱいかけた。

暖かかった。


帰り際おばさんに自転車で東京から来たことを告げると、なんとお菓子を袋いっぱいにつめて渡してくれた。

涙が出るかと思った。

「がんばってね」

はい。



※       ※       ※

あの有名紳士服店「AOKI」の軒下で野宿をしていると、懐中電灯を当てられた。

「もしもし」

あ、警官だ。

またしても短慮。

そうだよね、野宿してたら警官に見とがめられるんだよね。

アリと目が合った。

世界の王はみな自分を人よりも高い位置に立たせようとした。

乞食は、庶民は、常に地べたを這いずり回った。

空間的な高さは、そのまま自尊心の高さなのだと思った。ぼんやり。

寒い。体が固い。

就寝が1時。現在3時20分。

また雨が降っている。

「君はなんだい?旅行者かい?」

「はあ、まあ」

「家出とかじゃないよね?」

あたらずとも遠からず。苦笑。

「一応免許証見せてくれる?照会するから」

警官にねほりはほり聞かれ、まあたいした理由もなくママチャリで山形に行こうというのも変な話なのでなかなかうまく話がかみ合わない。

「えーと、あの、照会ってまだやってるんですか?」

「いや、もう終わってるよ」

「え、じゃあ・・えー・・?」

「いや、行くところ無いとかわいそうじゃん」

そうは言っても何もしようとしない。5キロほど先にネットカフェが「あったかもしれない」

というようなことはいってたかな。

ひとまずそこに行きますとだけ言って帰ってもらった。


この雨の中、あるかもわからないネットカフェに深夜歩かせることのほうが

かわいそうだということに彼らは想いが及ばないのだろうか。

まあそれは良い。だって自分で選んだことだし、確かに不法侵入はよくない。

これは僕の落ち度だ。



※        ※         ※

運よくネットカフェがあったので、そこにつくや否や

靴下を脱いでバタンキュー。

今日は福島までひとまず行こう!

トンネルが自転車が通れるかわからないのでひとまず情報を収集する。

あと、那須塩原の温泉には何が何でも入るぞ!!

山形到着はあさってかな?宿は取れるかなぁ?峠は越えられるかな?

まあ、大丈夫だって

いっちゃえいっちゃえ。

2012-05-16

京都での本番が終了

5月12、13日と京都で本番があった。 「人の体を展示する」というコンセプトの第一部と、「生と死の間を行き来する体」というコンセプトの第二部の構成でした。 そのどちらもとてもやりがいのあるものだった。 そもそもこの企画は京都造形芸術大学のプロジェクトの一環として行われた。 同大学の準教授である伊藤キム氏が先頭に立って、東京からダンサーを4人、京都を中心に活動するダンサーを14人、それに学生18人を合わせた36人で上演された。 プロと学生がこれほどの規模で作品製作をともにするというのも珍しく、それだけでも刺激的だった。 第一部は劇場空間ではなく、大学のギャラリースペースや通路を使って入場無料で行われた。 さまざまな場所にダンサーが「展示」されていて、観客はそれぞれ自由にまるで動物園を見るように歩いてまわっていく。 例えば、彫像台の上で静止しているダンサーや、ジャングルジムに捕らえられているダンサー、生きた蝶とともに網戸の部屋にいるダンサー、小さなアクリルケースの中でうずくまっているダンサー。 常に時報が場内に鳴っていて、その時間によってそれぞれの場所でまったくやっていることが違ったりするので何回見ても面白かったと思う。 ダンス作品でこのような形式を思いついたキムさんはやっぱりすごい。 以前は新宿のパークタワーホールでこの形式をはじめてやったらしいが、その衝撃はとても大きかったろうと思う。 時報がきっかり40分になると、各セクションのダンサーは持ち場を離れててんでばらばらに走り出していなくなってしまう。 その後お客さんはきちんとした劇場空間に移動し、第二部が始まる。 第二部ではお客さんは客席ではなく舞台側に設置された客席に座る。 こちらの最後には緞帳幕が上がり、客席で乱舞するダンサーを見守ることになる。 どちらにも通底しているのは通常の観劇体制にたいする反発だった。 かなり、お客さんは翻弄されたんではないだろうか。 ちょっと良い気分だ。 いや、かなり良い気分だ。 もっともっと、ぼくの知り合いの人にも見てもらいたかった。 体力的にはきつかったけど。 もっともっと見てもらいたかった。

2012-04-16

京都を歩いた

5月から始まる本番に向けて、今週から毎週末は京都にいる。

せっかく気候も穏やかになってきたし、新幹線の回数券はあらかじめもらっているので一日延泊して

京都を歩いてみる。

といっても全然一日では回れないから、僕が今日歩いたのは地図で言う右上半分くらいだ。


出発点は京都造形大学の近くの民宿(?)

銀閣寺のそばにある。哲学の道というところのふもと辺りにある。

気温も本当にちょうど良かったし、晴れていたし、最高の散歩日和だった。

桜の季節は少し過ぎてしまっていたが、平日だというのに観光客は朝から結構居た。

川べには必ず桜の木が植えられていて、散り気味とはいっても静かで美しい景色だった。


僕には目的の場所があった。

「かねよ」という老舗のうなぎやさんだ。

いま最高にはまっている小説家、花村萬月氏の「百万遍 古都恋情」に出てきていたのでぜひいってみたいと思っていたのだ。

電車やバスに乗れば早いが、そもそもチェックアウトが10時で開店が11時30分だから早く行っても意味がない。

それに僕は徒歩が大好きなので河原町にある「かねよ」まで歩いていくことにした。


簡単なのはいいけれど、大きな道なんか通っていってもつまらないので裏道を行く。

割と信用ならない僕の方向感覚だが、時間もあるし、着かなかったら着かなかったでその場でであった面白いものを堪能しようと思っていた。

案の定、古都は魅惑的な路地がたくさんある。

階段がいいよね。両脇を民家で挟まれた狭い階段がいっぱいある。その先に桜の木がある。

ていうか普通の民家を見てるだけでも割と楽しめてしまうのだから、味のある家屋が並ぶ京都は僕は一人でも全然退屈しない。

最初にぶわっと道順は決めるけれど往々にして他の路地に吸い寄せられてまったく違う方向に行ってしまう。

迷っても気にしない。どっかでまた戻ればいいのだ。



とにかく、進んでみなければわからないのだ。

そんなこんなで着物の櫛飾りを専門に扱っている店の家の周りをぐるっとしていたら


神社に出た。

神社といおうか、

うーん、ちょっと形容しにくい場所に出た。

なんというか「神社の墓場」だと僕は思った。

情景を説明すると、その山の中には大小さまざまな鳥居があった。

稲荷様だったり、その他の神様をまつっている社もあった。

でもそのほとんどが打ち捨てられたように荒廃し、薄汚れていた。

そこここに「奉納某様」という石碑がまるで墓石のように林立していた。

なんでこんなにもたくさんの社があるのかよくわからないが、それをそのまま放っておくのもよくわからない。

中でもひとつの稲荷様の前に立ったときの違和感はなんとも強烈で、狐憑きにでもなりはしないかとひやひやした。



沈黙があった。



静寂ではない。沈黙だ。


言葉を持つものが口をつぐんでいる気配のようなものがあたりに漂っていたのだ。


後で調べると、僕が上っていたのは吉田山という場所だった。

あの有名な吉田神社があるところである。

でもその吉田神社のもっと上のほうにこんな場所があったなんて。


吉田神社は名声に負けない空気をかもし出す場所だった。

鳥居をくぐった瞬間から、ぐぐっと精神を緊張させる空気。

計算しつくされたバランスの砂、門、桜、石畳。

自然は最高の芸術だと僕は思うけれども、この人工にはやはり歴史がある。

剣道の達人の型を見ているような無駄のない、それでいて無限に広がる世界。

人は庭で宇宙を表現した。

究極の人工だ。

人は形のないものをつかもうとして周りの物に手を加える。

吉田神社のようにひっそりと、確実にゆるぎなく「在る」ことができるものもあれば

神社の墓場と僕が命名した場所のようにゆがんだ形で「在らされてしまう」こともある。

そのどちらも人が手を加えたものである。

あのいびつな空間に僕は人のこぼれ落ちてしまった悪意を感じ取れるような気がする。



ちょっと長くなるので、続きはまた今度書きます。

2012-03-29

もう3月も終わりなのか

鳥取から帰ってきてすぐにまた東京公演の稽古が始まって

また一から作り直しということになり冨樫と小嶋の結婚式二次会の会場下見したら意外と狭くて

もうこれはマイケル・ジャクソンを完コピするしかないなと思い定めて

ひとまず金髪にするかとギンギンに金髪にしてそしたらすぐに踊りに行くぜの東京公演があって

終わってその二次会に行きたくないから浅草から新宿まで4時間30分かけて歩いてなんだか

とても東京の街が深夜で美しく見えて得した気分になったけど

途中でなか卯食ったのが胃に響いてゲロはいて

そりゃそうだろうよだって一次会ですでにおなかパンパンだったんだもんそりゃ吐くよってなもんで

そういえば一次会のときずっと会場がサロンパス臭かったの犯人俺だったみたいで

もうかばんの中エアーサロンパスが液体になるくらい漏れまくっててしかも

大きいのと小さいの両方キャップ外れてて二つともあふれとんのかいとつっこみつつ

このかばんは再起不能であるとおもいつつ仕方ないからサロンパスを隅田川にスローイン

したはいいけどもそれから二週間経過した今も部屋がサロンパス臭いのはどうしてくれようかと

こんな春の訪れ望んでないよ一ミリたりとも望んでないよ

まあでも東京観光を一夜のうちにできたことが何よりも宝物なんですよなんて浸って

引きこもりになっているうちにキムさんの企画で京都に行ってショーイング公演をこなして

毎日京都のダンサーはなんてあったかい人たちなんだと感心しきりだったけど

自分の甘さや弱さをキムさんに指摘されたりとかして

もうなんだかへこんでへこんで

3次会には出席せずにやっぱり夜の京都を散歩して

京都御所の深夜の感じは本当に素敵でひとまず立ちションしてたらなんでかしらんけど

パトカーが通ってあわてて木の陰に隠れたりして京都にはホームレスはいないのかなとか

無駄なことを考えたりだって東京でこんなにすばらしい場所を一日開放してたら

ヤンキーや酔っ払いやホームレスが殺到するもんだけどそれがないのはどういうわけなんだろう

でも京都はひとまず喫茶店がどこも気合が入っていて

町もきれいだしちゃんと先端文化もあるんだけど伝統を忘れないぞって気合が感じられて

これで寒くなければ最高なんだけどなぁってもうすぐ四月なのに雪が降るのはどういう了見なんだ

まあ仕方ないかな自転車でぐるっと回れば回れちゃう京都で最終日にちょこっとだけ

観光したけど途中で踊りに行くぜのプロデューサーに出くわして

まじで轢き殺したかったけどぐっとこらえて有名店「イノダコーヒ」本店に入ろうとしたら

満席でもはや殺意に変わったけど見失ったので命拾いしたなおぬしと心の隅で毒づいて

帰ってきたら体調を崩して今日もバイト行こうと思ったのにいかなくて

死ぬほどダウンタウンのDVDばっか見てるので引きこもりだけどやべえお金がない


お金がない。

あと、ピアスから血が止まらない。

春だ。





とてつもなく、春だ。

2012-02-27

地方での本番がありました

今日、鳥取から帰ってきた。

2月4日には仙台で今参加しているダンスの本番があり、

先週は3月に本番がある京都にいってきた。(キムさんのアシスタント)

忙しい、という意識はないんだけどまあ忙しい。



いま参加しているのはダンスフェスティバルみたいなもんで、

大体一都市に2~3個ダンス公演をしにいく。

僕たちのチームは鳥取と仙台と東京を回る。

だからもうあとは東京だけ。


僕のチームの作品は評判が悪いらしく、やっているほうとしてもほとんど手ごたえがないのでまあ悪いこと言われてももう黙って聞くしかない。

作品がぎりぎりまで決まらなくてかなりぶっつけ本番なことが多い。

それが主な原因だと思っていたけど、考えれば結構いままでぶっつけなことは多かったのにな。

それでも割りといけることが多かったからなんだかやるせない感じだ。

自分を、舞台上で生かしたい。

ただそれだけを念じて舞台をやってきたから、この徒労感は悔しすぎる。

言い訳とうらみつらみとが打ち上げではき出せなくて下痢をした。

自分にダメージを向かわせた。

無様だ。

でもやりたいな。生きたいな。切実だな。

馬鹿は馬鹿なりにやってやろうと思う。



五月までダンスの予定が入っていて、

その後は東北に一人旅をしようと思ってる。

巡回講演で初めて訪れた仙台と、冨樫君がすんでいる山形の空気が忘れられない。

宿も、目的地も、日数も何も決めずに、新幹線は使わず、時には野宿もいとわない

そんなたびに出ようと画策中です。


最終目的地は山形の冨樫君の家だ(うろ覚え)

(たぶん)月曜日あたりに出発して(たぶんその週の)土曜日の朝あたりに

冨樫君の家にたどり着く。

主に徒歩で。

冨樫君には言ってないけど。

2012-01-06

初夢

あけましておめでとうございます。

とっても更新数は少ないのだけれど、このブログ2008年からやってるんだとはじめて気がついた。

最近は結構、近過去の記憶の順序が曖昧になっていることに気がつく。

僕がいま惹かれて止まない小説家である花村萬月に出会ったのはてっきり去年だと思っていた。

でも過去のブログ読んでいると一昨年のことだったらしい。

すでに一年越しのつきあいだったんだなぁ。

人間なんて成長しないもんだなぁ。

よしもとばななにはまったのはいつだっけ?

花村萬月よりあとだっけ前だっけ?書いてないから良くわからない。

マイルス・デイビスを聴きはじめたのはいつだっけ?

ロバート・ジョンソンを聴きはじめたのはいつだっけ?



音楽の趣味が変わってきたなあ。

でも吉井和哉はかわらずにずーーーーっと聞いている。


好きなものって人それぞれ違うけど、いったい何がその人にヒットするのだろう?

出会う時期によっても多分接した感触ってまったく違うもんだし。

僕はよく覚えているのだけど、僕は中学生のころに一度花村萬月に触れているのだ。

当時僕は図書館で児童書ばっかし読んでいるのが恥ずかしくなって、

大人の書棚から始めて本を借りてみたのだ。

全然名前とか知らないからほんっと偶然なんだけど花村萬月を何故か借りてみた。

で、そのときは「なんだこれ」って思って強がりも続かずに途中であまりのつまらなさにやめてしまった。



何か小難しい独り言をうだうだしゃべってセックスして暴力して終わりってなんだそれって。

大人って良くわからないなって思った。



それが今じゃ・・。花村萬月なしではつまらなくて仕方ない。




思うに、人がなにかに惹かれるときは、そのなにかのリズムに淫してしまうのではないだろうか。

音楽はもちろん。小説にも言葉のリズムがあって、絵画にもリズムがある。

俳優にもその人独特のリズムがあるし。服とか、ダンスにも顕著ですね。

日々生きてる人それぞれのリズムがあって、なんとなく惹かれてしまう気持ちの根底には

リズムがちょうどハモってしまうような瞬間があるのではないだろうか。

友達とかもそうだもんね。

心地よいリズムってのが人それぞれ存在するもんだ。

たぶん生きていくうえでの僕のリズムみたいなものが中学生の時とは違っているんだろう。




最近のリズムというわけではないが

小説の神様は小川国男だと思う。

知らない人も多いでしょう。いわゆる内向の世代の一人と言われる小説家ですね。

期待して読むと死ぬほど地味で何も起こらないのでがっかりするかも。


でも、もう、なんか、すさまじい。


神です。


一見ただ平易なだけだけれど、こんな小説家は日本史上僕は見たことがない。

圧倒的です。

「小説」というものが本当に本当に好きでたまらない人は読んでみてください。



初夢に、阿部元総理が出てきました。

孤児院の院長やってました。


今年も皆様にとって良い年でありますように。