2010-12-09

しまった

最低でも一ヶ月に一度は書いていこうと思ったこのブログ。

11月書き忘れてるじゃないか。

なんでだろ。公演も終わってすげえ暇だったのに。いや、暇でもないか。

とにかく忘れてしまっていた。


そういえば忘れるって言うのは最近僕を悩ませているひとつのテーマ。

次回作品を現在カンパニー作っている上で

もうとにかくノートをとるようにしている。

絶対忘れちゃうんだよね。もう尋常じゃないくらい。

最近花村萬月の小説で読んだ一神教と王国の関係とか

すごい思い出したいのに全然細部が出てこない。

まあそんなことは生活にとってはどうでも良い情報だけれども。

これは怖い。

すばらしい考察を得てこの世の真理を得たりなんていう仰々しい気分になっていたのに

もうすっぽり頭から抜けている。

本を読むスピードが早いねってよく言われるけれど

もうどんどん頭から抜けておりますから。

こういうのって他人に話したりして共有しないとたぶん残らないんだろうね。

他人と近年話すことが少ない僕は実は何も蓄積してないんじゃないかって言うのは

まあ極端な考え方だろうなあ。

でもよおくあったんだよなあ。

創作に行き詰っているとき

まえ思いついた神がかり的なアイディアがあったのになぁ!

あれが思いつく俺は天才なんだよなぁ!

あのときの自分よ降りてこい!って。

でも過去ってかなりそのときの自分の都合で勝手に美しくなったり醜くしたりするから

ってのもノートとってるとわかってくる。

くだらない自分がある日はすばらしくってあるときいきなりだめになったりすることなんてない

変化は緩やかなんだ。

無駄に過大評価しようと自己卑下しようと

ほとんど毎日変わらない体は悠然と現実に僕に寄り添っている。

脳みそが見せる幻覚だ。

まあ良いや。

作品と向き合おう。


毎回の稽古を無駄にしてるんじゃないかってくらい

自分に何もないことに驚く。

これは出し方が間違っているのかな?

最近右も左もわからない。

本当にわからない。

こんなことになったのは生まれて初めてだ。

と思ったら昔の日記読んだらもっときつかった時期があったことを発見。

これも忘れてんのかい!!

2010-10-25

スコーン

冨士山アネットが終わった。

気がつけば一ヶ月ほど更新していなかった。

今年は走りきるという目標を立てて、本当に予定を詰めた。

あさってから輝く未来のコラボ企画が始まる。

僕は舞台監督として関わることになっている。

虚脱している暇はないのだ。


冨士山アネットはいい経験になった。

周りに合わせるのが苦手な自分が露呈した。

自分の好きなようにできないということは逃げられないと言うことで、

かっちりと振り付けが決まっている公演に出れたことは良かった。

まあやっている最中は死ぬほどストレスがたまったけど。

小屋に入って舞台が開放されてちょっと自由に動いたとき、

「ああ、舞台ってこんなに広かったんだ」と思った。

決められた場所を決められた範囲でしか動かなかったから気がつかなかった。

良い悪いじゃなく、それを知れたのが良かった。

決められていようが自由だろうが大変さは結局変わらないのだ。

どちらも必要。


次は2月の輝く未来の本公演。

ちょっとだけ休めるから色々見て回ろう。

2010-09-06

振り切るように

今日は、朝から夕方まで稽古があって夜に予定がない久しぶりの日。

恵子が進む。

間違えた稽古が進む。

気がつかないうちに自分が変化しているのだろう。

以前は反応しなかった筋肉が反応してきている。

具体的に上腕三頭筋とか大胸筋とかそういうことじゃなく、

もっと頭の奥底に神経が存在しているような筋肉。

もっともっとほっていけば新しい世界がバカスカ発見できそうな筋肉があった。

筋トレとかしてたら多分一生見つけられなかっただろうと思う。

体って不思議。


体と言えば、二月にSTスポットで行われる輝く未来の本公演

振り付けを担当することになった!

わー。

僕が輝く未来の振り付けを担当しちゃって良いのか?

でもまあ自分にやれるだけのことはやって、

あんまり力入れずに

今までの自分で何ができるかを試しながら

良いものを作っていきたいとおもいます。





なんてことは思ってない。




ダンスなんかやってやんないぞ。




もっともっと遠くの誰も見たことのないような地平へ

息も絶え絶えに進んでいくんだろう。


まあダンスなんてまだまだ作れるレベルでは到底ない。

でも演劇でもない。

「身体表現」なんて糞みたいなもんでもなく。

そこにあるものをつかみ取ってえぐり出して、提示する。

謙虚に謙虚に。

もう二回ほどワークショップをやったけど、

僕はすごくうきうきしている。

まだまだ進め方も何もつたないけれど。

手を抜かずにいこう。

その前に竹生だ!フジヤマアネットだ!

とまらないぞ。

2010-08-26

多忙多忙

気がついてみれば一ヶ月も更新していなかった。

なぜならば死ぬほど忙しかったからだけど。

やっとひょっとこ乱舞が終わったのにまだあと三つも稽古が残っていて

休む暇が本当にない。

竹生と富士山アネットと輝く未来(ホーム)

今年は本当に身辺に色々あって

去年とは大違いだ。


えっと、ここ一ヶ月で何があったんだっけな?

携帯変えたんだ。あと彼女ができたんだ。


そんぐらいなのかな?意外とすくねえな。

でも充実してんだよ。だから良いかな。




このブログを教えてないのに結構見つけている人が増えてきていて

いや、別に隠しているわけでもないけど

見せて恥ずかしいことを書いているつもりもないけど

当初ミクシィをやめてこのブログをはじめたとき

正直にいろんなことを書こうというのが目標だった。

ミクシィだと知り合いばっかだからなかなか書きにくいことも多くて

あ、もう俺の文章つまんねえと思ってなんか枠を取りたかったから

ミクシィやめてブログにした。

でも改めて

全く知らない人がぼくの文章を知らないうちに読んでいると知ったとき

ちょっと緊張した。

揺らぎそうだけどそこはがんばろう。

毒ばっかはいているねって長谷川さん(冨士山アネットの主催さん)に言われた。

面白い文章書けないからね。

せめてね。



倉本聡の「帰国」(本当は旧字体なのに変換で出ない。とてもいいタイトルなのに)

すごい宣伝してたのにものすごくつまらなかった。

どうした倉本聡。

なんか倉本聡の漢字が間違っているような気がする。

まあ良い。

なんでこんなつまらないんだろうと思っていたら

舞台版とテレビ版で話が全然違うらしい。

変な手を加えられたんだろうか?


あ、意外と長渕剛さんの芝居がちゃんとしていた。

絶対ビートたけしよりがんばってたと思う。

あ、せっかく昼間は休みなのにやんなきゃいけないこと思い出した。

終わり。

手帳見たけど本当に稽古と予定の詰りかたが異常。

よく生きてるな。

2010-07-20

ワールドダンスフェスティバル終了

ひょっとこ乱舞が終わった瞬間にあった輝く未来のイベント出演が終わった。

夏合宿の参加者を集めてのイベント。

まさにお祭りだった。

ひとまずは怪我もなく終わった。

今回は色々あって振り付けは伊藤キムさんが行った。

「もう振り付けはしない」と2007年に宣言していたが、

まだ僕らメンバーが色々と関係性もダンサーとしても定まっていなかったために

キムさんが(まあ割と一方的に)自分で振り付けをすることを決めた。


全体としてつまらないものではなかったと思う。

でも、面白いものでもなかったと思う。

キムさんが振り付けならまあ失敗はしないだろうと踏んでいた。

でも、微妙な違和感は残っていた。



本番が終わったあと

キムさんは恐ろしく疲れた顔をしていた。

舞台袖にキムさんはみんなを集めて

「みんなは凄くがんばってくれたけど、なんだろう・・・

僕はちょっと、まあ稽古中にもチラッと言ったんですけど・・ちょっとこの作品を、うーん、

どこに絞って良いのかって言うか、どこに焦点を当てれば良いのかわからなくてですね、

昔、バリバリ作品を作っているときはどんどんアイディアがでてきたんですけど、

ちょっとやっぱり、・・振り付けをしなくなって時間が空いたからか、全然思い浮かばなくてですね・・

なんか、最後までちょっと良くわからなかったです。

僕はこの作品を通じて皆さんに、ダンスをうまくなってほしいとかは全然考えてなくて

むしろ、何かひとつのことをやり遂げるためにどれだけのものをこう・・注がなければいけないか、

っていう、何か、魂のようなものを伝えたかったんですが・・・・・・・・・・うん・・・・・・・・・

全然だめでしたね。

今回僕は全然だめでした。

本当に申し訳ありませんでした」

と言って謝った。

キムさんはお詫びにもならないけどといってみんなに自分のヒストリーDVDを渡した。(絶賛発売中「glorious future?」)



その後、

車を家に置いてくるといって

僕に「もしも」の時のために打ち上げ代金を渡し

キムさんは

打ち上げに来なかった。



僕に渡したお金は15万。

はじめからきっと来る気なんかなかったのだ。



打ち上げ会場では

まあ笑い話にしてしまった。

「大学生の主催かよ!」って感じ。



でもさ、

まじめになんか話せないよ。



家に帰ってキムさんのヒストリーDVDを深夜まで見て

若いころの映像を見てさらに悲しくなった。



恐ろしいほど輝いていた

嘘だろって言うくらい


今最先端だとか言われているダンサーと同時代に存在しても

確実に蹴散らされていたであろう圧倒的なダンサーが

映像の中にいた。



決してお世辞にも器用な人間ではない

ダンスしかできないし、それで生きてきた。

頭固いし、何考えてるかわからないし、言葉足らずだし、子供っぽいし、

その男が枯れてきた才能を自覚し

それでもダンスを通して社会とつながるために何ができるかを必死に模索している。

そしてそのダンスを通して何もできなかったと言う無力感を

暗い部屋で一人でかみ締めている姿を思うと。

もうどうにもやりきれない。



それは孤独だ。




背筋が寒くなるほどの。


圧倒的な孤独だ。


とてもじゃないけどまじめになんか語れないよ。



でも同時に思ったのは、


あなたは悲しい。


だけど俺は先に行くよ。

僕はすくなくともあと一年は輝く未来にいる。

2010-07-05

本番終了

ひょっとこ乱舞の本番が終わった。

見に来てくれた人たちは本当にありがとうございました。

今日はぐっすり&また服を衝動買い。

また黒と白ばっか。



お芝居は久しぶりだったけど

なんか、最初は多分芝居というものを舐めていたと思う。

最後の最後まで試行錯誤の連続だった。

ものすごく勉強になった。


身体的な感覚だけを頼りにやろうとしていたけど

全然足りなかった。

台詞があって他人がいて場所があって

よく考えればわかりそうなものだけど

甘かった。

台本が来なくてずっとボディワークショップをやっていたのも逆に幸いだった。

ダンサーの本来専売特許である体のとても大切な感覚が

俳優の人たちでも十分に体現可能なのだと思った。

かなり大きな収穫。


芝居自体もなんだかとても雰囲気が良くて好きな作品だった。

大楽までのびのびとした感覚ではやれなかったけど。

それがまだまだ俳優として未熟なところ。


次はもうすぐ輝く未来の本番。

体は動く。

その先をどうするかってのがようやく見えてきた。

体を使って何をするかって言うこと。

その先。

2010-06-27

本番中

現在ひょっとこ乱舞の本番中

舞台は生き物であるということをまざまざと感じる日々。

お客さんというものをじっくり観察。

しゃべらないでたってることが多い役を振られたのが幸い。

喋ってる時よりただ立っているときが一番自分では納得している。

そんなところを見てくれるお客さんも中にはいらっしゃる。



うーん納得はまだ一度もしてないかも。

一番気を使っている。

「立つ」ことから僕はダンスを始めたし、

結局「立つ」ってことに帰ってきそう。



明日はソワレ。

昨日を追わないように追わないように。

2010-06-12

本番が近い

ひょっとこ乱舞の本番が近い。

だけど台本がない。

ないって言うレベルじゃなく尋常じゃなくない。

役が決まっていない。

たぶんこれかなーっていうのはある。

まあ決められれば決められるほど僕はつまらなくなっていくので良いんだけど。

いや、そろそろ良くないかも。



別に台本が遅かったとかをお客さんに対して言い訳する気は毛頭ない。

それは舞台とは何の関係もない。

だから卑怯だと思う。

つまらないものを出してほしいわけじゃないからちゃんと書いてほしいんだけど。

僕たちにはどうすることもできないし、やっぱり本が面白くないと何も始まらんから。

そして役者は言い訳できないから。

仕方ない。

そして協力して共犯しないと舞台はできないから、そりゃもうしょうがないのだ。

ギャラもらってるわけじゃないしオーディションを通じて僕は出させてもらってるんだから、

もうその時点で劇団を信用しているのが大前提。面白くするの前提。



だから単なる感情論として、卑怯だと思うし単純にむかつく。



まあやれる自身は今のところある。



しかし延々と続くボディワークショップを通じて得るものは多数。

輝く未来でも最近そうだけど

もう僕が死ぬほど苦手ないわゆる「ダンスの振り付け」をやっている。

いや、ダンサーだから振り付け覚えないといけないんだけども。

超苦手。

すぐエアロビクスになってしまう。

リズムに合わせて体を動かすのはたぶんダンスではなくて

ただの運動。

すぐにエアロビクスになってしまう。

今日も一日使ってダンスをみんなで振付けた。

うーん、僕のはまだエアロビクスだなあ。

もっと空っぽにならないと。


お芝居を通じてダンスを考えることも多数。

体、体の納得がないと。

ピナ・バウシュっていう僕が世界で最も尊敬する振付家(昨年他界)が

「ダンサーがどう動くのかに私は興味がない。でも何がダンサーを衝き動かすのかには興味がある」

って言ってて


ああ、それだよ。


どうしゃべるのかって言うか、何にしゃべらされてるか。


どう踊るのかって言うか、何に踊らされているのか。



やっぱアーティストは60超えてからだなって思う。

なんていうかもっと力抜こう。



明日は輝く未来の稽古の後にひょっとこ乱舞。

さすがにこの間体調を崩した。

まあ回復したけど。

9月に竹生っていうパフォーマンスに出て、

10月は冨士山アネットに出て、

11月はおそらく輝く未来の公演があり、

1月、2月も輝く未来の公演あり。

まあ今年は出る年にしたから。

ひとまず振り返らずに。

からっぽにからっぽに。

たぶん全部面白いよ。

2010-05-24

さあさあ

最近稽古が忙しい。

ひょっとこ乱舞やって,冨士山アネットやって,輝く未来やって

もう自分がどこで何してるんだかわからなくなってきた。

しかし6月はさらに恐怖の稽古月間。

計算してみるとバイトがフルで入れるのが一日しかなかった。

ひょっとこの本番があって,輝く未来の本番が二週間後にあるからだ。

そして折角の休演日にも輝く未来の仕事が入っている。映画の撮影らしい。

金が・・・。

慌てて緊縮財政政策を採る。

無駄遣いしない。

吉井和哉のデザインしたTシャツを衝動買い(しかもネットで)しそうになったが我慢。

むしろペンダントも欲しいが我慢。

ていうかパーカでも良いが我慢。

まあカーディガンも欲しいが我慢。似合わないし。肩幅広いから。

なのにこの間我が母校中央大学で在校生たちを相手にワークショップをしたとき

おごってしまった。

ファック。

まあ楽しかったんだからいいけど。



大学ってこんなだったっけって凄い新鮮だった。

でもやっぱり予想通り大学卒業してからのほうが楽しい。

いちいち人と関わんなくても稽古できるし。

割と仕事だけの関係って好き。

「あなたと私は違う人間です。じゃあやりましょう。はいドン!」

って感じ。気を使わなくて済む。

プロはみんな自分のやり方を持っていて,

それのぶつかりあいだから,上記のことが当然起こる。

みんなに合わせなくて良い。

ゴールは一つ。みんなそれぞれのルートで,それぞれの方法で我先に上ってくる。

他人の人生だとか好き嫌いだとかそういう無駄なことにかまけている暇がない。

イッツシンプル。

それはそれは素敵な現場の場合だけど。輝く未来なんて正にそう。



母校でのワークショップは楽しかった。

みんなはどうだったのかな?

自分の拙さが身にしみたけど。

どんどん色んなところでアウトプットをしていかないと見えないものもある。




最近は花村満月にはまっています。

よく本を読むなあ最近。

イエローモンキーのトリビュートアルバムが最高。

やっぱり他人の唄を自分の唄にしちゃう人は格好いいな。

奥田民夫さんとかKREBAさんとか。

あがた森魚さんのカバーがあまりに素晴らしくて男泣き。

寝る。

2010-05-12

河口湖より帰還

昨日まで三泊四日の河口湖合宿ワークショップに行って来た。

いやあ,疲れた。

でも凄い楽しかった。

当初はまあ10人くらい来たら万々歳かなって思ってたけど。

気がついてみたら18人。

顧客管理を軽い気持ちで引き受けたら(まあ5~6人だと思ってた)

大変だった。

制作さんって本当凄いよ。こうゆうの絶対自分ではできない。

案の定お金合わないし。

たぶん僕を古くから知っている人なら僕にこういう仕事を振るのは自殺行為だって知ってるけど

まあ仕方ない。皆忙しいし。



参加者の人たちはとてもいい人たちだった。

輝く未来の人だーって目で見られるから最初は戸惑ったよ。

いやもうホント全然踊れないですから,あなたのほうが全然踊れますからって

でも僕は

「そうですけど何か?」

みたいな顔をしてしまう。

意地っ張りなのだ。

もう実体がないのなら無理矢理自分をその実力がある人にしなければならない。


つまり


めっちゃ頑張るのだ。


人間ってこうやって成長していくんだなって思った。

汗ダラダラになりながら涼しい顔したふりして

「まあ,これくらいいつもやってますよ」

っていう。



四日間,ダンス漬け。

すごく貴重な経験。

しかも公演を控えた合宿ではないから,

純粋に自分の身体を見つめられた。

足りないもの。人より優れているもの。

とりあえず僕の長所は「舞台上でのおもいきりの良さ」だった。

周りを見渡して僕より思い切りがいい人間はだれもいない。(ただ,あんまりダンスに関係ない)


合宿中に出てきた伊藤キムの名言





「芸術はゲロだ」





もうとめどなく出ちゃうもの。

確実にオリジナルなもの。自分の中から出てきたもの。

吐いていこう。

2010-04-23

ブランニュー

最近部屋が汚くなってきた。

僕は気分が落ち込むと逆に部屋がきれいになっていく。

だからたぶん大きなストレスを抱えていないっていう証拠だろう。

ちょっとだけ掃除したけど。

そして美術館に行ったり本を読んだりする欲求も減ってきた。

やっぱりはけ口を求めるんだろうか。

去年の一年間はめちゃめちゃインプットの年だったけど。

ひょっとこ乱舞は新作に出ることになった。

たぶん僕用の役を新設するほうが無難だからだろう。(いや、たぶん)

ストレスがないならないで割りと不満な日々。


割と興味が薄れていく中でも輝きを放っているのが中村うさぎさんのエッセイ。

本当面白い。

いや、なんか文句なく面白い。

話自体も面白いし、人間への目線がすごい鋭い。ドキッとする。

面白怖いっていうんだろうか。

危機感が高まる。

それとロベルト・ボラーニョっていうチリの作家。

なんていうんだろう。

過去がいつも悲しみと一緒に存在しているって言うこの感じ。

郷愁って言うんだろうか。

でも違う、もうちょっとなんていうか、悲しい。

夕焼け空みたいに、ぶわーーーって開けている悲しさ。

日本語にはないだろうと思う。

ラテンアメリカの作家はあまり読んだ事がなかったので収穫。



もうなんか書いていて最終的に思うことはいつもひとつ。

もっとうまくなりたい。

2010-04-03

お芝居

今度は久しぶりにお芝居に出る。

ダンスも芝居もそんなにかわんねえよと思っていたけど

甘かった。

言葉には思っていたよりもずっと強い力があるようだった。

言葉自体じゃなくて、

そこにまとわりついている意味が

制約になっているのだとはじめて知った。

発音、関係性、声のトーン、語彙の時代性、

「コップを取ってくれ」

っていうのを言葉にしたら、もう、それ以外にない。どこにも飛んでいけない。

もし身体だけで二人の人間でこれをやったら、

コップを取るっていうやりとりから開放されてどんどん動きが生み出されていくだろう。

優れたダンサーならば作品がひとつ作れてしまうだろう。

身体にはあんまり意味があっちゃいけないし、そのほうが見やすい。

伸びる、縮む、固まる、緩む、

逃げ場のないシンプルな世界。

今までずっと意味のないことをやってきた

意味があっちゃいけないことをやってきた。


芝居に漬かっていた時間のほうがずっと長いはずなのに

もうチューニングがあわない。

ダンスも未熟だし、芝居にもなじまない今の自分は

ものすごく中途半端なパフォーマーであると思った。


ダンスよりも考える要素が多いものだから、

逆にそれをプラスにしていかないと。

ひとまず自分の身体に絶対の信頼を置けるように稽古しよう。

2010-03-25

自分のパソコンができた

数日前に輝く未来での本公演が終わった。

見に来てくださった皆様本当にありがとうございました。

やっぱり見られるっていうのはとてもうれしいことだと思う。

初めてのでかい劇場はやっぱりテンションが上がった。

でかいキャパの方が好きだ。

でもまだまだだ。「見てもらう」じゃなくて、「思わず見てしまう」って人にこれからはならなければ。

それがプロって言うことだろう。

いや、心がけの問題じゃなくて、単純にそうしないと興行的に成り立たないから。

興行が成り立たないならそれはプロって言ってもむなしいだけで、

たとえ少数でもそういう人がいないと。



そうなるためにはっていうか、

今回の公演ではスタッフさんの重要性をまざまざと感じた。

ダンサーとのコミュニケーションがうまくいかなくて、大変迷惑をかけた。

途中、人を上空に吊るというシーンがあって

僕たちが最初に案を出したときはまったく想像だにしないような

安全性確保の問題があった。

やっぱり途中に砂を使うシーンでも、

劇場側とのかなり綿密な取り決めが必要だったようで。

舞台監督という仕事がどれだけ重いか、そしてどれだけダンサーに対して気を配っているか。

たぶんダンサー本人よりもダンサーの体を心配してるんじゃないかとさえ思った。

もちろん舞台監督だけじゃない照明さんや音響さんや制作さんも。

学生でやってんじゃないんだから年齢も全然違うし、経験もずっと豊富。

プロであるということの見落としていた別の側面だった。


本番は稽古場でジャージ着てやるんじゃないってことだ。


やりたいことやりたいならそれだけの責任を認識するということだ。


でもそれが重荷とか足枷になっちゃいけない気がする。

むしろ、それはもっと作品をよくする加速装置であるはずだ。

衣装だって、店でウィンドウ見ながら決めるんじゃないんだから

スイッチつけて明かりつけるわけじゃないんだから

それは人間との作業なんだから

絶対面白いはずで

作品にプラスになる要素だ。

そんな現場にしないと。


まあ、後は礼儀とかですよね。

いくら気持ちがあっても、やっぱり行動しなきゃ伝わらないわけで

僕がすごく苦手な分野。

ダンスばっかしてるとついつい忘れがち。

今、自分がいる状況をいったい誰が作り出してくれているのか

忘れないようにしないと。

でも礼儀とかは気持ちの問題じゃなくて

基本的にはシステムの問題だと思うから。

現場到着後とか終演後とか、ポイントポイントを自分の中のスケジュールにすでに組み込んでないと

かなり難しい。

そういう俯瞰する時間を5分でも自分で作らないと

これからやっていけなくなる気がした。


自分を変えるのは気持ちじゃなくて習慣。

気持ちはここぞだけ。


これからもっと人の波にもみくちゃになっていくんだろう。

まあそれもまた楽し。

2010-02-21

学問

バンクーバー五輪を見ていて,

やっぱりどの競技も面白いんだけども

人間が何かを突破した瞬間や

思いもよらない感情がもれ出てしまった表情はとても魅力的。

勝っても負けても,

その人の「殻」みたいなが偶然バカッと破れてしまったとき

心がノックされますね。

だからなのか,

フィギュアスケートの男子フリーを見ていて,

レベルの高い選手の不安そうな技術の演技よりも

普段テレビでは絶対放送されないようなレベルの選手の自己ベストの演技の方が

はるかに僕を惹きつけるのだ。

でもイバン・ライサチェック選手の演技はとても良かったと思います。

頂点にたつ人は,そのどちらも無いとダメなんだと思った。

技術と

自分を常にバカッとしていく姿勢と



僕の山田詠美ブームはまだ冷めない。

初期の方の作品はあんまり面白くないけど,

96年以降の小説はとっても良い。

寡作だからものの3ヶ月で全作品を読みきってしまったけど

早く新刊でないかな。

絶対サイン会に行こうと思っている。

てか去年の10月くらいに出たばっかりだからまた2~3年は出ないのかもしれない。

「学問」

っていう長編。

僕は年間100冊以上は必ず本を読むけど

実は今まで読んだ本は9割9部5厘くらい図書館で借りているものなので,

買わない。

でも,これは買ってよかったと思った。

早くも今年ベストワンの呼び声が高い(僕の中で)

山田詠美の小説を読んでいると,いつも何回も涙が出る。

別になんてこと無いシーンでも。

イメージが広がって,臭いや温度も感じれるみたいに

僕の心の中の柔らかい部分をいつもちくちく刺激するのだ。

これを読んで,大学時代を思い出した。

いや,「良い時代だったなぁ」とかそういうんじゃなくて

ノスタルジックなのには変わりないんだけど,

今の自分にとって,過去の自分にとって

もう何にも変えがたい物凄くかけがえの無いものが

時間の経過と共に

腐ったり,共有できなくなったりして

変わっていってしまうのは

すごく悲しい。

でもそれって

とても愛おしい人間の性なんじゃないだろうか。

二回目を読み終わったけど,印象に残るシーンや涙がわいてくるシーンは全く違った。

4人の少年少女の6歳から18歳までの,何てこと無い日常の断片が書かれてるだけなのに。

小説っていいな

って思わせる作品。

ただ

これは売れないだろうなとも思った(笑)

売れ行きが悪いともエッセイに書いてあったし。

みんな買いましょう。

2010-02-09

爆裂スマッシュパレード

二月になっている。

今年は寅年ですよ。

僕は年男です。

獅子座,寅年,火星人(六星占術)

何を見ても「プライドが高いフィーリング任せの行動派」

もう最近こういう占いの刷り込みの結果こうなってんじゃないのって思ってきた。


最近はダンスカンパニーに所属していて

まあもうそっちが楽しくて

もう日々試行錯誤と挫折の繰り返しなんですが

大学にいた頃と違ってぶちまける相手がいないから(彼女もいないし)

知らず知らず自分のモードが「インプット」よりになっていたことに気付く。

久しぶりにその人たちに会って,自分が当然だけどかなり考え方が変化していたことに気付く。

アウトプットしてなかったから,自分の変化に気付かなかった。


「早く芝居に帰ってこいよー」とか

「今コンテンポラリーに鞍替えしたんだってねえ!」とか言われて


   ???


いや,帰るとか鞍替えとか

どこにも旅立った覚えはないんだけどなあと思う。

ジャンルは色々ありますけど,

人間の作りたいものなんて皆そんなに変わらないんじゃないのかなあと

最近考えてる。

ダンスがあって音楽があって芝居があって

で,その中でもなんだか凄い細かい派閥対立があって。

ロックの中でもやれグラムロックだプログレッシブだパンクだ,メロディアスパンクだハウスだテクノだ

で,新劇だの歌舞伎だの小劇場だのがあって,

で,小劇場の中でもアゴラ派やら王子よりやら本多系やら

他との差異を強調するのは良いけど

個体差ばかりが目立っている。

ジャンルや違いを振りかざさなくても,千差万別のバックボーンを持つ全ての人を

圧倒するような普遍性のある作品を作る人は存在するので,(ピカソとかモーツァルトとか)

個体差と個性は違うんじゃない?と思う今日この頃。


と思ったのは,この間上野の東京美術館に言ったついでに

併設されている博物館の「土偶展」を見てきたからだ。

縄文時代の作品だったけど,物凄くパワーがあって良かった。

で,もう本当に最古の土偶を見た時にもう前進に衝撃が走ってしまった。

本当に拙い人型の泥くずみたいだったけど,

これって現代に生まれた幼児が粘土で作っているものと



全く同じだった。


変わってないんじゃん。


で,僕の頭の中にぐるぐるぐるぐると繰り返し浮かんできた問いが一つあって。


何で作った?


いや,別に充分なはずなんですよ。

食べ物があって住むところがあって空気があって服があれば。

なんでそういう生きるために絶対不可欠な行動の時間を削ってまで

この泥くずを自分達の姿に似せて作ったんだろう。

他の動物には,生きるうえで必要なもの以外を作る習性は無いだろう。

ましてやそれをもっと手間隙かけた形に発展させていくことはしないだろう。

人間には何か「作りたい」って本能が確実に存在することを確認して興奮した。


これだよこれ!

俺が見たいのはこれなのよ!


ジャンルとかを振りかざすってことは

もうこことは距離があると思う。

この土偶には「他人と違うと思われたい」とか「認められたい」とか「自分を発見したい」とか「他者とつな

がっていたい」だとかそういう諸々の意図が一切存在しない。

もう本当に生きる時間を削って「作った」もので,

凄い初期衝動。

うん,


何で作った?


もちろん僕にもお金がほしいだとか,認められたいだとか,格好良くなりたいだとか

そういう諸々でなんかを作ってるんだと思う。

結局そんなもんかなぁ,そんだけで芝居とかダンスやってんのかなぁって思ったりもするけど,

根っこのほうでは,

数千年前にこの土偶を作った人,

誰だか知らんけど

この人とおんなじもんを抱きかかえているような気がするんだけどなあ。

うん,


何で作る?


キーワードは想像力だと思うんだけど,

長くなるからまた今度考えよう。

いい加減風呂に入ろう。

2010-01-07

ああ文章

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

文章書くのの久しぶりだなと思いました。

年末は輝く未来のてはじめがあったり,新しくお寿司屋さんでデリバリーのバイトを始めたりで忙しかった。

おすし屋さんは当然年末年始は書き入れ時なので,お正月はほとんど休みがなかった。

生まれて初めて元日も働いた。

勤務地は新宿の東側全般で,

大体四谷から飯田橋くらいまで。

なんか,ストレスか分らないけど基本的にたのしみが何かを食うことしかなくて

もう本当食うことが楽しくて

まあお弁当をたくさん作っていきました。

まあ

もう本当食うことが楽しいんですね。

たぶん自然の流れに反するような行動をとる(一日10時間労働を正月に休み無くやるとか)

そのことで逆に僕の中に潜む動物的な部分が目覚めていく結果になったんですね。

まあなんやかんや言っても

だから

まあ食べることが嬉しくて楽しいんですね。

動物的な部分が目覚めていくっつっても

性欲が驚くほどカットされてるんですね。

良く考えたらかれこれ3週間ぐらい僕は

勃起すら一度もしていなかったことに気付いたんですね。

勃起すらしてないって,そりゃもう生物としてやばいんじゃないかと思うんですが

でも今までも何かに熱中するとカットされることはままあったわけですが

こんなに長期間は初めてだと思います。


まあ

食べることが楽しいんですわ。


これは過食なのかなって思った時期もありましたが

最近はようやく落ち着いてきました。

最近のはやりはファミリーマートの「ソフトフランス練乳」っていう

フランスパンにあるまじき水分の欠如と食感のもちもち具合が

なんかたまらないので

お弁当持っていってんのに買ったりしてるし。


まあ

食うことって楽しいですよね。


ここでちょっと洗濯とかして30分くらい書くのやめたんですが,

あまりに不毛なのでダンスの話にしよう。

年末年始はバイトやら葬式やらが重なってしまい

輝く未来の稽古に出れなかった。

これは本来やってはいけないことなのでとても申し訳なかった。

自分もまだまだなのにさらに稽古の機会を奪ってしまってどうするんだ俺。

前回の「てはじめ」は全体の作品としては僕はなんか良かったなっていうか

いい作品に出れたなぁと思ったんですが,


あんまやってて楽しくなくて。

良い意味で。


良い意味でっておかしいか。

「この借りは返さなきゃ」って思った。

こんなもんじゃ終われないからずっと続けていくと思った。

去年一年を振り返って,

久しぶりにトータルで「不満足」な一年だった。

「今年一年はあんまり動かないで,色んなものを見て周ろう」

とはなから決めていた一年だったけれど,

そうすることで見えたものがたくさんあったけど,

それを差し引いても,

いや,物足りないよ君。と思った。

今年あたりから

もぞもぞ動き出そうかと思う。