2009-08-26

OPEN/CLOSE

あざみ野での本番が終わった。

自分が舞台に立たない本番はやっぱり何か変な感じだった。

とてもいいメンバーと知り合えたので

「また再演しようか」

なんて話が既に出ている。

あざみ野の制作さんが「こっちの身にもなってくれ」とひやひや。

まあ先のことは分らんですな。

打ち上げでなんとみんなから色紙をもらう。

意外だったけど嬉しかった。

それだけみんなあの場所が大切だったと言うことだろう。

本当に良い時間だったと思う。

学校でいじめられている子も,なじめない子も,フラットな関係でいられたのだ。

僕が思うに,お互いのあらが見えずに打ち解け初めくらいの

ちょうどいい時期に公演を迎えられたのだと思う。

次に集まっても,当然だけど今回のような関係性ではいられない。

ましてや成長著しい年頃の彼らだ。

永遠の友は思い出の中にしかいないんだけど,

それを知ってしまうのも忍びない気がする。



また暗いほうに話題が行ってしまいそうなので方向転換しよう。

打ち上げは飲み屋。

僕は中高生がいるにもかかわらず泥酔。終電をすかさず逃す。

伊藤キムさん(振り付け,演出家)の家にお邪魔させてもらうことに。

キムさんの家は今時の広い良いマンションだった。

テロリストでも制圧できないだろうと思われる複雑な道を,

三人で深夜にもかかわらず悪ふざけをしながら進む。

僕は入ってすぐにうんこを要求。同行した高校三年の男の子の方がよっぽどしっかりしている。

その後,同じく泥酔気味のキムさんによる人生相談が始まる。

僕は迫り来る吐き気と戦っていたのでうつむいたまま聞いていない。

「吐いちゃったほうがいいんじゃない?」

とキムさんに言われるが,初めてきた家でゲロを吐くわけにはいかないと辞退した。が。

「こんなダンスやると気持ち悪くなるかもよ~」

といって目の前でクオリティの高いぐにゃぐにゃした動きをやるプロダンサー。

僕は本当に気持ち悪くなりゲロを吐いた。さすがプロだ。


今回参加した子供たちが,別に将来ダンスをやる必要は無いと思う。

むしろ今回の経験を生かしてどうするかが気になる。

その上で,10年後に同窓会みたいなことをやるのは面白いと思う。

2009-08-17

恋は岡目八目

あざみ野で子供たちと大騒ぎしている。

もうそろそろ本番だ。

なんて吸収が早い奴らなんだろうと毎回驚かされる。

そして中二と中一と高三の男子と全く同じレベルで笑い合える自分が何か不思議。

狂ったように楽しい日々が続く。

やっぱり中二くらいだと何の抵抗もなく「セックス」って言いづらいらしい。

「僕の同級生がぁ,なんか,やっちゃったらしいんですよ」(「やっちゃった」はやや早口)

男子全員で「何を何を」っとっ突っつきまくったら,

「え・・エス,イー,エックス」

と逆にエロい響きの言葉が出て来て駅で男子達(一人は23歳)が笑っていた。

そういえば僕も高校卒業するまで下ネタが大嫌いだった。

物凄く嫌いだった。

あれは技術の無いやつの笑いだと思っていた。(今でもそう思うけどやめられない)

そのエスイーエックス君は13歳だけど自宅のパソコンで既に特撮を操っている。

作品は70以上あるらしい。

高三の男子は慶應高校に通う医者志望の子で,

患者とのコミュニケーション能力を養うために劇団ひまわりに自分から入っている。

ある女の子はピクチャーアートで学校で賞をとるバレエダンサーで

そのほかにもたくさんの才能を持った子がいる。

寺山修司の研究してる子がいた。(16歳)

キムさんも言っていたが,

「たぶん日本の将来って大丈夫なんじゃないかな」

彼らが理不尽に捻り潰されない社会であって欲しいと思う。

僕が踊り続けていれば今回みたいな場所がまた作り出せるのだろうか。

それだけでコンテンポラリーダンスの存在する意味はある気がする。

決められたフリがあるわけではないし,

型があるわけでもない。個人個人の感性が頼りだ。

だからといって適当なわけではないけれど。

僕は良い経験をした。

2009-08-03

better placeっていう脚本のタイトルを高校の頃から暖めていて,なかなか良いタイトルだと思うけど未だに形にしてない

高校生の頃までは良く本を読んでいた。

大学生になると作るばっかで全然読む暇がなかった。

で,今は時間があるのでたくさん読んでる。

小説に限らず,何かを作る人たちは

何をしてもいいんだと思った。

今はもう色んなスタイルが出きってしまっている感があるから

何を選ぶかだけど

まあ基本的に何をしてもいいんだと思う。

でも

この間のコンテンポラリーダンサーのワークショップを踏まえて

何をしても良い

でもそこには

作者の充分な動機と

才能が必要だ。

変なことを目的として変な作品を作られると困る。

結果として変な風になっちゃったらそれは仕方が無い。

でもはじめっからそういうものをやらないで欲しい。


今年の上半期僕のベストオブ小説は台湾のレズビアンの小説家が書いた

「ある鰐の手記」だと思う。

僕はレズビアンの気持ちにも台湾の社会情勢にも全く興味がないけど

そこに描かれているのは本当に汚くて惨めなレズの女性たちのドロドロとした葛藤だけど



なんて美しい小説だろう



読み終わった後そう思った。

涙が止まらなかった。


台湾の事なんか何も知らない日本の男にとっても

あの小説にこめられたパワーには何かが反応したんだろうと思った。

この作家は確か26歳で自殺しているはずだが

僕が強く心を動かされたのは

「そうするしかなかった」「書くしかなかった」

そういった極限の集中力のようなそんな部分だったんだと思う。

だからまあ何をどう描いてもいいと思う。

麻薬だろうがセックスだろうがロリータだろうが戦争だろうが

でも

「本当にそうするしかないのか?」

という自分への問いを欠いているならそれはただの失礼になる。

そもそも「表現する」っていう言葉自体がなんか胡散臭い

もっと,なんか,にじみ出ちゃうものな気がする。

「ある鰐の手記」

そうなっちゃったんだろう。

この人は根っこから言葉を吐き出しているんだと感じた。