2010-04-23

ブランニュー

最近部屋が汚くなってきた。

僕は気分が落ち込むと逆に部屋がきれいになっていく。

だからたぶん大きなストレスを抱えていないっていう証拠だろう。

ちょっとだけ掃除したけど。

そして美術館に行ったり本を読んだりする欲求も減ってきた。

やっぱりはけ口を求めるんだろうか。

去年の一年間はめちゃめちゃインプットの年だったけど。

ひょっとこ乱舞は新作に出ることになった。

たぶん僕用の役を新設するほうが無難だからだろう。(いや、たぶん)

ストレスがないならないで割りと不満な日々。


割と興味が薄れていく中でも輝きを放っているのが中村うさぎさんのエッセイ。

本当面白い。

いや、なんか文句なく面白い。

話自体も面白いし、人間への目線がすごい鋭い。ドキッとする。

面白怖いっていうんだろうか。

危機感が高まる。

それとロベルト・ボラーニョっていうチリの作家。

なんていうんだろう。

過去がいつも悲しみと一緒に存在しているって言うこの感じ。

郷愁って言うんだろうか。

でも違う、もうちょっとなんていうか、悲しい。

夕焼け空みたいに、ぶわーーーって開けている悲しさ。

日本語にはないだろうと思う。

ラテンアメリカの作家はあまり読んだ事がなかったので収穫。



もうなんか書いていて最終的に思うことはいつもひとつ。

もっとうまくなりたい。

2010-04-03

お芝居

今度は久しぶりにお芝居に出る。

ダンスも芝居もそんなにかわんねえよと思っていたけど

甘かった。

言葉には思っていたよりもずっと強い力があるようだった。

言葉自体じゃなくて、

そこにまとわりついている意味が

制約になっているのだとはじめて知った。

発音、関係性、声のトーン、語彙の時代性、

「コップを取ってくれ」

っていうのを言葉にしたら、もう、それ以外にない。どこにも飛んでいけない。

もし身体だけで二人の人間でこれをやったら、

コップを取るっていうやりとりから開放されてどんどん動きが生み出されていくだろう。

優れたダンサーならば作品がひとつ作れてしまうだろう。

身体にはあんまり意味があっちゃいけないし、そのほうが見やすい。

伸びる、縮む、固まる、緩む、

逃げ場のないシンプルな世界。

今までずっと意味のないことをやってきた

意味があっちゃいけないことをやってきた。


芝居に漬かっていた時間のほうがずっと長いはずなのに

もうチューニングがあわない。

ダンスも未熟だし、芝居にもなじまない今の自分は

ものすごく中途半端なパフォーマーであると思った。


ダンスよりも考える要素が多いものだから、

逆にそれをプラスにしていかないと。

ひとまず自分の身体に絶対の信頼を置けるように稽古しよう。