2010-02-21

学問

バンクーバー五輪を見ていて,

やっぱりどの競技も面白いんだけども

人間が何かを突破した瞬間や

思いもよらない感情がもれ出てしまった表情はとても魅力的。

勝っても負けても,

その人の「殻」みたいなが偶然バカッと破れてしまったとき

心がノックされますね。

だからなのか,

フィギュアスケートの男子フリーを見ていて,

レベルの高い選手の不安そうな技術の演技よりも

普段テレビでは絶対放送されないようなレベルの選手の自己ベストの演技の方が

はるかに僕を惹きつけるのだ。

でもイバン・ライサチェック選手の演技はとても良かったと思います。

頂点にたつ人は,そのどちらも無いとダメなんだと思った。

技術と

自分を常にバカッとしていく姿勢と



僕の山田詠美ブームはまだ冷めない。

初期の方の作品はあんまり面白くないけど,

96年以降の小説はとっても良い。

寡作だからものの3ヶ月で全作品を読みきってしまったけど

早く新刊でないかな。

絶対サイン会に行こうと思っている。

てか去年の10月くらいに出たばっかりだからまた2~3年は出ないのかもしれない。

「学問」

っていう長編。

僕は年間100冊以上は必ず本を読むけど

実は今まで読んだ本は9割9部5厘くらい図書館で借りているものなので,

買わない。

でも,これは買ってよかったと思った。

早くも今年ベストワンの呼び声が高い(僕の中で)

山田詠美の小説を読んでいると,いつも何回も涙が出る。

別になんてこと無いシーンでも。

イメージが広がって,臭いや温度も感じれるみたいに

僕の心の中の柔らかい部分をいつもちくちく刺激するのだ。

これを読んで,大学時代を思い出した。

いや,「良い時代だったなぁ」とかそういうんじゃなくて

ノスタルジックなのには変わりないんだけど,

今の自分にとって,過去の自分にとって

もう何にも変えがたい物凄くかけがえの無いものが

時間の経過と共に

腐ったり,共有できなくなったりして

変わっていってしまうのは

すごく悲しい。

でもそれって

とても愛おしい人間の性なんじゃないだろうか。

二回目を読み終わったけど,印象に残るシーンや涙がわいてくるシーンは全く違った。

4人の少年少女の6歳から18歳までの,何てこと無い日常の断片が書かれてるだけなのに。

小説っていいな

って思わせる作品。

ただ

これは売れないだろうなとも思った(笑)

売れ行きが悪いともエッセイに書いてあったし。

みんな買いましょう。

2010-02-09

爆裂スマッシュパレード

二月になっている。

今年は寅年ですよ。

僕は年男です。

獅子座,寅年,火星人(六星占術)

何を見ても「プライドが高いフィーリング任せの行動派」

もう最近こういう占いの刷り込みの結果こうなってんじゃないのって思ってきた。


最近はダンスカンパニーに所属していて

まあもうそっちが楽しくて

もう日々試行錯誤と挫折の繰り返しなんですが

大学にいた頃と違ってぶちまける相手がいないから(彼女もいないし)

知らず知らず自分のモードが「インプット」よりになっていたことに気付く。

久しぶりにその人たちに会って,自分が当然だけどかなり考え方が変化していたことに気付く。

アウトプットしてなかったから,自分の変化に気付かなかった。


「早く芝居に帰ってこいよー」とか

「今コンテンポラリーに鞍替えしたんだってねえ!」とか言われて


   ???


いや,帰るとか鞍替えとか

どこにも旅立った覚えはないんだけどなあと思う。

ジャンルは色々ありますけど,

人間の作りたいものなんて皆そんなに変わらないんじゃないのかなあと

最近考えてる。

ダンスがあって音楽があって芝居があって

で,その中でもなんだか凄い細かい派閥対立があって。

ロックの中でもやれグラムロックだプログレッシブだパンクだ,メロディアスパンクだハウスだテクノだ

で,新劇だの歌舞伎だの小劇場だのがあって,

で,小劇場の中でもアゴラ派やら王子よりやら本多系やら

他との差異を強調するのは良いけど

個体差ばかりが目立っている。

ジャンルや違いを振りかざさなくても,千差万別のバックボーンを持つ全ての人を

圧倒するような普遍性のある作品を作る人は存在するので,(ピカソとかモーツァルトとか)

個体差と個性は違うんじゃない?と思う今日この頃。


と思ったのは,この間上野の東京美術館に言ったついでに

併設されている博物館の「土偶展」を見てきたからだ。

縄文時代の作品だったけど,物凄くパワーがあって良かった。

で,もう本当に最古の土偶を見た時にもう前進に衝撃が走ってしまった。

本当に拙い人型の泥くずみたいだったけど,

これって現代に生まれた幼児が粘土で作っているものと



全く同じだった。


変わってないんじゃん。


で,僕の頭の中にぐるぐるぐるぐると繰り返し浮かんできた問いが一つあって。


何で作った?


いや,別に充分なはずなんですよ。

食べ物があって住むところがあって空気があって服があれば。

なんでそういう生きるために絶対不可欠な行動の時間を削ってまで

この泥くずを自分達の姿に似せて作ったんだろう。

他の動物には,生きるうえで必要なもの以外を作る習性は無いだろう。

ましてやそれをもっと手間隙かけた形に発展させていくことはしないだろう。

人間には何か「作りたい」って本能が確実に存在することを確認して興奮した。


これだよこれ!

俺が見たいのはこれなのよ!


ジャンルとかを振りかざすってことは

もうこことは距離があると思う。

この土偶には「他人と違うと思われたい」とか「認められたい」とか「自分を発見したい」とか「他者とつな

がっていたい」だとかそういう諸々の意図が一切存在しない。

もう本当に生きる時間を削って「作った」もので,

凄い初期衝動。

うん,


何で作った?


もちろん僕にもお金がほしいだとか,認められたいだとか,格好良くなりたいだとか

そういう諸々でなんかを作ってるんだと思う。

結局そんなもんかなぁ,そんだけで芝居とかダンスやってんのかなぁって思ったりもするけど,

根っこのほうでは,

数千年前にこの土偶を作った人,

誰だか知らんけど

この人とおんなじもんを抱きかかえているような気がするんだけどなあ。

うん,


何で作る?


キーワードは想像力だと思うんだけど,

長くなるからまた今度考えよう。

いい加減風呂に入ろう。