2010-02-09

爆裂スマッシュパレード

二月になっている。

今年は寅年ですよ。

僕は年男です。

獅子座,寅年,火星人(六星占術)

何を見ても「プライドが高いフィーリング任せの行動派」

もう最近こういう占いの刷り込みの結果こうなってんじゃないのって思ってきた。


最近はダンスカンパニーに所属していて

まあもうそっちが楽しくて

もう日々試行錯誤と挫折の繰り返しなんですが

大学にいた頃と違ってぶちまける相手がいないから(彼女もいないし)

知らず知らず自分のモードが「インプット」よりになっていたことに気付く。

久しぶりにその人たちに会って,自分が当然だけどかなり考え方が変化していたことに気付く。

アウトプットしてなかったから,自分の変化に気付かなかった。


「早く芝居に帰ってこいよー」とか

「今コンテンポラリーに鞍替えしたんだってねえ!」とか言われて


   ???


いや,帰るとか鞍替えとか

どこにも旅立った覚えはないんだけどなあと思う。

ジャンルは色々ありますけど,

人間の作りたいものなんて皆そんなに変わらないんじゃないのかなあと

最近考えてる。

ダンスがあって音楽があって芝居があって

で,その中でもなんだか凄い細かい派閥対立があって。

ロックの中でもやれグラムロックだプログレッシブだパンクだ,メロディアスパンクだハウスだテクノだ

で,新劇だの歌舞伎だの小劇場だのがあって,

で,小劇場の中でもアゴラ派やら王子よりやら本多系やら

他との差異を強調するのは良いけど

個体差ばかりが目立っている。

ジャンルや違いを振りかざさなくても,千差万別のバックボーンを持つ全ての人を

圧倒するような普遍性のある作品を作る人は存在するので,(ピカソとかモーツァルトとか)

個体差と個性は違うんじゃない?と思う今日この頃。


と思ったのは,この間上野の東京美術館に言ったついでに

併設されている博物館の「土偶展」を見てきたからだ。

縄文時代の作品だったけど,物凄くパワーがあって良かった。

で,もう本当に最古の土偶を見た時にもう前進に衝撃が走ってしまった。

本当に拙い人型の泥くずみたいだったけど,

これって現代に生まれた幼児が粘土で作っているものと



全く同じだった。


変わってないんじゃん。


で,僕の頭の中にぐるぐるぐるぐると繰り返し浮かんできた問いが一つあって。


何で作った?


いや,別に充分なはずなんですよ。

食べ物があって住むところがあって空気があって服があれば。

なんでそういう生きるために絶対不可欠な行動の時間を削ってまで

この泥くずを自分達の姿に似せて作ったんだろう。

他の動物には,生きるうえで必要なもの以外を作る習性は無いだろう。

ましてやそれをもっと手間隙かけた形に発展させていくことはしないだろう。

人間には何か「作りたい」って本能が確実に存在することを確認して興奮した。


これだよこれ!

俺が見たいのはこれなのよ!


ジャンルとかを振りかざすってことは

もうこことは距離があると思う。

この土偶には「他人と違うと思われたい」とか「認められたい」とか「自分を発見したい」とか「他者とつな

がっていたい」だとかそういう諸々の意図が一切存在しない。

もう本当に生きる時間を削って「作った」もので,

凄い初期衝動。

うん,


何で作った?


もちろん僕にもお金がほしいだとか,認められたいだとか,格好良くなりたいだとか

そういう諸々でなんかを作ってるんだと思う。

結局そんなもんかなぁ,そんだけで芝居とかダンスやってんのかなぁって思ったりもするけど,

根っこのほうでは,

数千年前にこの土偶を作った人,

誰だか知らんけど

この人とおんなじもんを抱きかかえているような気がするんだけどなあ。

うん,


何で作る?


キーワードは想像力だと思うんだけど,

長くなるからまた今度考えよう。

いい加減風呂に入ろう。

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