今度は久しぶりにお芝居に出る。
ダンスも芝居もそんなにかわんねえよと思っていたけど
甘かった。
言葉には思っていたよりもずっと強い力があるようだった。
言葉自体じゃなくて、
そこにまとわりついている意味が
制約になっているのだとはじめて知った。
発音、関係性、声のトーン、語彙の時代性、
「コップを取ってくれ」
っていうのを言葉にしたら、もう、それ以外にない。どこにも飛んでいけない。
もし身体だけで二人の人間でこれをやったら、
コップを取るっていうやりとりから開放されてどんどん動きが生み出されていくだろう。
優れたダンサーならば作品がひとつ作れてしまうだろう。
身体にはあんまり意味があっちゃいけないし、そのほうが見やすい。
伸びる、縮む、固まる、緩む、
逃げ場のないシンプルな世界。
今までずっと意味のないことをやってきた
意味があっちゃいけないことをやってきた。
芝居に漬かっていた時間のほうがずっと長いはずなのに
もうチューニングがあわない。
ダンスも未熟だし、芝居にもなじまない今の自分は
ものすごく中途半端なパフォーマーであると思った。
ダンスよりも考える要素が多いものだから、
逆にそれをプラスにしていかないと。
ひとまず自分の身体に絶対の信頼を置けるように稽古しよう。
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