2009-05-31

街は雨上がりで汚れていた

ふと昨日気がついたけど

そういえば僕には新しい友達がいない。

全然気がつかなかった。

大学を卒業してから色んな人と関わったけど

友達は一人もいないで過ごしてきた。

それが一切苦にならないのは元々一人が好きな性質なのか

ただなんとなく忙しかったからか。


そういえば僕は物心ついたときから「クラス」という集団にいるのにずっと違和感があった。

「クラス」って何であるんだろう?

集団行動を学ぶ場だろうか。

でも集団行動を学ぶなら別に部活でも良いじゃん。

レクリエーションでも良いじゃん。

市民ボランティアで幅広い世代と自分で交流すればいいんじゃないのかな?

勉強は本質的に孤独な作業だから

別に一つの場所に押し込めて一斉に教えなくてもなあ。


英会話スクールのクラスは英語を学ぶために集まった集団

消防団は火を消すための集団

劇団は演劇するための集団

政党は政治を有利に運ぶために所属する集団

ダンススクールのクラスも個人のレベルに合わせたお互いの能力を研磨しあう集団

でも学校のクラスって何を目的としているんだろう?

体育祭やったり,文化祭で劇やったり,なんかテストの平均点比べられたり

ぼんやーりしている集団だ。

そのくせなんでか成員の感じる依存度や重要度は高いから

いじめが起きたりする。


僕はずっと部活や委員会の人とは仲が良かったけど,

クラスの人とどう接していいのか良くわからなかった。(もちろん仲の良い人は稀にいた)

「何で一緒にいるの?」ってところがずっと疑問だった。

でもクラスに喋るやつがいない事ほど重大に孤独を感じることはない。

高校生の頃の僕はそこまで面の皮が厚くなかった。


大学生になってからは「クラス」の縛りが弱くなったので

堂々と僕は「クラス」で友達を作らず過ごした。

そういうえば4年間で授業の相談をしたことも

ノートを見せてもらったことも一度もない。

自分で学びたいと一応責任持って選んだ授業だしなぁと思った。


自分とは合わない人間とも折り合えるように設置されたシステムなんだろうか?

いや,でも自分で選んだ場所だって,いけ好かない奴は当然居るし

色んな人いたし

その中でもどうにか目的を果たすために頑張ってきた。

ってのじゃダメなのかな。


なんかバッキリしたクリアな関係の方が僕は楽だ。

メール上だけの仕事とかバイト先とか,先生と生徒とか,先輩,後輩,そして

同期とか。何かクリアな目的を共有できる相手。

目的を共有してると,信頼しやすい。

死ぬほど利害対立してるとか

そもそも「友達」っていうのは

「利害」とか「上下関係」とか全部気にしないでいられる

そういう存在の方が良いはずだ。

うーん。

ただ根暗なだけかもしれない。

0 件のコメント: