喉が痛い。体が重く、顔がぼんやりと熱い。
島の空気が優しく体を包んでいる。
後になってわかることだけれど、
犬島の空気はとてもやさしかった。なにかに支えられているようだった。
空気がきれい、ということだけじゃないのだと思う。
草や木の匂い、瓦屋根の風景、道端にあるアーティストたちの作品、
住んでいる人々の息遣い。
全てを合わせて空気を作っていたのだと思う。
10月16日、僕は犬島を離れた。天気は曇り。少しだけ雨。
肌寒い。
千秋楽の前日あたりから風邪をひいたようで、それが少し悪化していた。
本番終わったものの、せめて一日だけでもバラシに参加したいと思い、
雨のなか体調不良をおして強行した。
やはり裏目に出た。
これから原チャリで東京まで帰る道程を思うと憂鬱になる。しかも悪天候。
遠ざかっていく島を眺めて、思いのほか平静な気持ちでこれからのことに思いを馳せる。
この島で、一ヶ月もの間維新派の劇団の公演に参加していた。
やった本人でさえなんとも現実感のない出来事だ。
本当におわったのかな?
波が不規則に船底にあたって砕ける。スクリューは強い力で水面に三角系の波を作る。
一つとして、おなじ形がない。
すべてが一回性であり、見ていて飽きない。
ぼんやりとした頭で、すぐに考えるのをやめた。
※ ※ ※
大阪でとても好きだった家の近くのラーメン屋が潰れて、そこにインド料理屋ができていた。
たいして美味しくないそこのカレーを食べて、恐る恐るバイクのエンジンをかける。
かからない。
ちょっと予想できていた。僕の手に来るまでに既に10年は経ているボロボロの車体である。
エンジンはカブとは言え、さすがに一ヶ月雨ざらし。
無駄かなとは思いつつ、チョークをいっぱいに開け思いっきりキックをする。
あれ?ちょっとかかった。
何回かキックするうちに、聞きなれたエンジン音が響いた。
十分にエンジンを温めてやると、一定の律動でエンジンが動き始めた。
なんとも健気で、ちょっと泣けた。
また、頼むね。
東京からきたときの反省でケツがめちゃくちゃ痛かった。
それを防ぐためのクッションをビニールテープでぐるぐる巻きにする。
既にシールドは取れかかってるし、左のライトはだらーんと地面につきそうな勢い、
黒川のシートも敗れて黄土色の中身が飛び出しているし、
それらを全てビニールテープで補修(?)
でもエンジンの整備だけは定期的に必ず行っていた。
そんな風に労わりだしたのはぼろぼろになってからだけど。
「乗り物の扱い方を見れば女性の扱い方がわかる」
という俗説を聞いたときは
ちょっと笑えなかった。
※ ※ ※
来た時もそうだったが、
大阪などの都市部を抜けるのに結構時間がかかる。
道が複雑で、なかなかナビの道に行けない。
ちなみにナビはIpadのマップアプリのみ。
インターネットにつながないと細部の情報は見られなくなってしまうので
携帯の電池がなくなると、地図が見れなくなる。
出発したのは14時頃だったが、奈良県の天理市に着く頃にはもう日が暮れてしまった。
そして相変わらず体調が悪い。
頭が痛い。ぼーっとする。
鼻水はもう垂れるがままにしておいた。
どうせフルフェイスのヘルメットなので中まで覗く人もいないだろう。
風が冷たい。
山間部に入る前に、ユニクロでマフラーとヒートテックと手袋を購入。
ロングTシャツの上に白いヤンキーパーカー、青いジャケット(白塗り付き)
その上に雨合羽(蛍光ブルー)マフラー、手袋、
ぼろぼろのスニーカー、ビニールテープでぐるぐるの原チャは東京ナンバー。
ユニクロの人がなぜ不審そうに
僕を見ていたかがわかる。
iPadのアプリは何故か自動車専用道路を執拗にたどろうとするので
原チャが通れない道をよく指示される。
かといって徒歩のルートで検索するとよくわからん田んぼの農道などを通そうとするのでなかなか注意が必要だ。
だいたい来た道をたどっているはずなのだが、田舎の道だと昼と夜で大分景色が違う。
今日の目標は静岡県は浜松までいくことに漠然と決めていた。
ぼくの地元は山なので、
ラストの峠越えを深夜にしてしまうと泣きを見ると思ったからだ。
しかしこのペースでは行けないかもしれない。
平均すると一時間に15キロほどしか進めていない。
ちなみに全ての行程では472km
18時の時点で大阪から60キロほどしか進んでいない。
あ、ダメだ。これ着かないよ。
いや、でもこのあと山道で一本道だから一時間40キロペースで進むはずだ。
本当にそう思っていた。
※ ※ ※
山みちは、国道を進みたい。
なぜなら整備されてるから。
やはり国土交通省の管轄だからか、県道に比べ舗装はちゃんとしているし
街灯もきちんと付いている。
そのはずが
国道25号
ここはあかんよ
ぼっこぼこ。
ほぼ未舗装。
しかも雨が降っていて穴が見えない。
途中で「発破予告」と書かれた看板を見つけた。
どこかで爆破作業がいまも継続中らしく、その時間は爆発が危なすぎて通れない。
そんな国道あるんかい
行きはまだ昼間だったから良かったが、暗闇の中この未舗装の道を走るのは辛い。
また、夜の山はその表情を昼とは全く変えてくる。
襲いかかってくるような暴力的な闇が左右に迫っている。
鳥の声や草いきれの音が妙に不気味で、もしエンストしたらという不穏な想像が止められない。
きっと有料道路の方の25号はそんなことはないのだろう。
ただ、原チャでは側道をぐねぐねと曲がりくねりながら通るしかない。
暗い森を抜けると
ふだんはうっとおしい車の音やヘッドライトが
あんなに人を安心させるなんて。
かなり体力と精神力を削られたうえに、とても40キロ平均でなんか走れない。
まずい。
そして鼻水が止まらない。
寝たい。
※ ※ ※
三重県に入り、ようやく山みちを抜けた。
国道1号線をひたすら走る。
寒い
寒い
寒い
山で雨に降られ、厚着をするのが遅すぎた。
手足の感覚がかんぜんに消えた。
歯の根が合わないとはこのことだろうか。
先ほどからずっと歯がカチカチと鳴っている。
それなのに
妙に気持ちが冴えている。
正確なライディングができる。
気持ちが、凪いでいく。
コンビニが見えて、ひと休みせよと脳みそが言っている。
なのに
まだいける
まだいけるよ
この時間を逃がしたくない。
この集中した時間。
歯が激しく鳴る。ほぼ痙攣に近い。
なのに止まれない。
たまに止まって、温かい飲み物を飲むと、まっすぐ歩けないほどの激しい震えが来る。
そうなると怖くなる。
なので、休まない。
一定に鳴り続ける歯で8ビートや16ビートにならないか試してみる。
前歯を鳴らすと、ちょっと曇った音が鳴る。
歯垢が溜まってるなぁ
ああ、お昼ご飯のあと歯磨きするの忘れてた。
そんなことをぼんやりと考える。
感覚が麻痺する。
※ ※ ※
晩御飯に鈴鹿でうどんを食べてもまったく体温が戻らない。
現在21時。浜松なんて絶対につけない。
これだけ生姜を大量に食べても体があったまらないのはちょっとおかしい。
そして体調がやはりあまりよくない。
というわけで
四日市で一泊することにする。
二日目、つまり明日がかなりの強行日程になってしまう
一日で三重から東京へ
しかも原チャ
今日早めに眠って体力を回復したほうが良いと判断。
再び1号線を走る。
5分もしないうちにまた震えが止まらなくなる。
かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち
その速さはX‐JAPANのYOSHIKIのバスドラム並みである。
かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち
きょう泊まるホテルを予約しようとしたら
携帯の電源が切れた。
スマホの電池が長く使えるようになるだけで
ノーベル賞ものだと思うんだけどなぁ
かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち
戦人塚といういくさで戦った人たちの魂が眠る場所があり、
交差点になると何故か漢字の読みが仙人塚になっていた。
何故か、腹が立った。
血なまぐさいもの、時間を、きれいなイメージで隠蔽しようとしているような印象を受けた。
かちかちかちかちかちかちかち
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コンビニで立ち止まり、暑いお茶を飲むと、
また激烈な震えが来た。
手足の感覚は麻痺したままだが、宙を浮いているような感覚になる。
かちかちかちかちかちかちかち
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別れた彼女のことが急に思い出された。
なぜかはわからない
はっきりしてるんだか朦朧としてるんだかよくわからない精神状態のなか
いろいろな思いが浮かんでは消えていく。
別れたすぐ次の月だったろうか、彼女の父親が脳梗塞で倒れた。
母親が既にいないので、相当なダメージだったと思う。
あまり良い別れ方ではなかったし、連絡しようかどうか迷ったが、結局連絡しなかった。
まちがっていただろうか
しかしどの口で何が言えただろうか
結局、外面的には彼女のためだとか言いながら自分のためだけになにかをしてしまうと思ったので
しなかった
まちがっていただろうか
いや、多分間違っていなかったな。
かちかちかちかちかちかちかち
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※ ※ ※
「本日、満室」
かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち
なんも考えたくない。
ほかにホテルがあるだろうか。
浮いているような感覚で、なんとかホテルを見つけ出し、泊まった。
部屋で、とにかく濡れた衣服を脱ぎ捨て、お風呂にお湯をためた。
35度くらいのお湯だったのに火傷するようにあつかった。
バスタブで激しく痙攣する。
体温がもどるとき、全身の血管に血液が行く時、
痛い
とにかく身をよじりたくなるくらい
痛い
※ ※ ※
体温がもどると、今度は急激な発熱で動けなくなった。
マスクをして、風邪薬を飲んで、首に濡れタオルを巻いて眠った。
暑さでぼーっとするのに、寒い。
明日は、もっときつい。
街の空気はやさしくないなぁ
公演が終わった達成感や、メンバーと別れる寂しさや、島の想い出に浸る感傷もへったくれもなく
眠った。
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