三月の末に輝く未来の先輩の公演が終わって
もうなんだか舞台にかかわりたくないなってかなり思っていて
2~3ヶ月くらい世界中を放浪しようかなんて考えていたときに
地震がおきた。
いまだにこの地震をどうとらえてよいのかわからない。
何かはするべきなんだろうとは思いつつ、何もやらずに、ずっと、バイトをしている。
僕は寄付金とか全然していないし、現地にボランティアに行ったわけでもない。
最初、地震が起きた当初はボランティアの人々がむしろスキルがない場合には邪魔になってるって聞いた。
そうだろうと思った。
それは結構僕の中で強力な言い訳になっていて、それ以上自分が何かするって言うことは考えなかった。
でもこの間先輩と話していて
もうすでに被災地でバイトがあるそうだ。
送られてくる大量の支援物資の仕分けのバイトで、三食付いて日当1万。
たしかにこのバイトは何のスキルもなくてもできる。ただただ人数が欲しい仕事だ。
ぼくは揺らいだ。
ボランティアは邪魔だから行かなくていいっていういいわけが揺らいだ。
つまり僕は結局何もしたくない自分に直面した。
言い訳をべりっとはがされた。
隠されてた怠惰な自分が現れた。
けれど何も僕はしていない。
善意が怖い。
善意は怖い。
「ひとつになろう日本」ってメッセージは何か違う気がする。
なんだかはわからないけど、なんかひっかかる。
僕が隠れ蓑にしていた言い訳に色や質がとてもよく似た、もっともっと巨大な何かとつながってる気がする。
ものすごく大事なものをとても安易に隠してしまう巨大な力があるきがする。
僕が一番怖い、もの。
すたこらさっさと世を捨てたくなる。
なんなんだろう。いったい何なんだろう。
自分の中には無駄な知識ばかりがあって全然言葉がないなって最近思う。
この期に及んで自分のことしか考えていない。
もし僕がもっとすごいダンサーだったら、つまり被災地で公演することで何か意味があるダンサーだったら、
いや、あんまりそれは関係ないか。
ようは結果ではなくやるかやらないかだ。やることに意味がある。
自分を強く規定できる何かをもてないから、驚くほど僕には言葉が少なく知識が多い。
自分を規定できない人間はすべてに現実感がもてない。
つまりモラルが決定的に欠けてる。
あー、憂鬱だ。
毎日をちょっとずつやることのエネルギーしか今はない。
掃除をしたり、犬の散歩に行ったり、服を買ったり、彼女と遊んだり、空を見たり、バイトしたり、美術館に行ったり、朝のにおいをかいだり、ジャンパーを着るかジャケットにするか悩んだり、傘を忘れたり。
世界が進む。
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