2011-04-18

旅記

この間、横浜八景島シーパラダイスに行ってきた。

でも印象に残ったのはそこまでの道のり。

何線だか忘れたけど横浜から八景島前まで通じるローカル線の

その時間がとても新鮮であった。


その電車はモノレール方式。

この日は平日だったのでほとんど人もいない。乗客は水族館に行く若いカップルか

病院にいくお年寄りか。

人がまばらなホームには海からたどり着いた風が大量に吹き抜けていた。

暖かくもないし寒すぎもない。

でも確実に窓の向こうの青空から吹いてきたんだと思った。

観葉植物のような防砂林の無効に4分の一くらい海。そんでその上は青空。



快晴。



電車はゆっくりと進む。



海辺の町がすきなのはたぶんずっとまえからだ。

といってもヴェネチアとかハワイとかああいうのではない。

荷物を運ぶための貨物船と外国語でかかれたコンテナがあるようなそんな町だ。

あやうくあぶない刑事のラストシーンがはじまりそうなああいうなんかバタ臭い感じの空気だ。

外観よりも何よりも前に「必要」があって作り上げられた景色だからだろうか。

効率って言うのとも違うし、何だろう、無意識が何層にも積み重なって

そうやって一つ一つはめ込まれてきた景色と言うのだろうか。


オフィスビルと、並木道と、白いバンと、タクシー

人は歩かない。

車を使う。

砂浜は何処にもない。

海は硬いコンクリートでどこもかしこもエッヂを区切られている。

垂れ流しているのは化学合成物だらけの汚水のはずなのに、ここらのビルにはなんでか

清潔感が漂う。

一日中太陽が当たっていて、なんだか時間が止まったみたいだった。

これで松屋なんかがあれば完璧なのになぁ。


八景島までのローカル線。

強烈な旅情だった。

2011-04-13

色々ありすぎた

三月の末に輝く未来の先輩の公演が終わって

もうなんだか舞台にかかわりたくないなってかなり思っていて

2~3ヶ月くらい世界中を放浪しようかなんて考えていたときに

地震がおきた。



いまだにこの地震をどうとらえてよいのかわからない。

何かはするべきなんだろうとは思いつつ、何もやらずに、ずっと、バイトをしている。

僕は寄付金とか全然していないし、現地にボランティアに行ったわけでもない。

最初、地震が起きた当初はボランティアの人々がむしろスキルがない場合には邪魔になってるって聞いた。

そうだろうと思った。

それは結構僕の中で強力な言い訳になっていて、それ以上自分が何かするって言うことは考えなかった。

でもこの間先輩と話していて

もうすでに被災地でバイトがあるそうだ。

送られてくる大量の支援物資の仕分けのバイトで、三食付いて日当1万。

たしかにこのバイトは何のスキルもなくてもできる。ただただ人数が欲しい仕事だ。

ぼくは揺らいだ。



ボランティアは邪魔だから行かなくていいっていういいわけが揺らいだ。

つまり僕は結局何もしたくない自分に直面した。

言い訳をべりっとはがされた。

隠されてた怠惰な自分が現れた。


けれど何も僕はしていない。


善意が怖い。

善意は怖い。

「ひとつになろう日本」ってメッセージは何か違う気がする。

なんだかはわからないけど、なんかひっかかる。

僕が隠れ蓑にしていた言い訳に色や質がとてもよく似た、もっともっと巨大な何かとつながってる気がする。

ものすごく大事なものをとても安易に隠してしまう巨大な力があるきがする。


僕が一番怖い、もの。

すたこらさっさと世を捨てたくなる。

なんなんだろう。いったい何なんだろう。

自分の中には無駄な知識ばかりがあって全然言葉がないなって最近思う。


この期に及んで自分のことしか考えていない。

もし僕がもっとすごいダンサーだったら、つまり被災地で公演することで何か意味があるダンサーだったら、

いや、あんまりそれは関係ないか。

ようは結果ではなくやるかやらないかだ。やることに意味がある。

自分を強く規定できる何かをもてないから、驚くほど僕には言葉が少なく知識が多い。

自分を規定できない人間はすべてに現実感がもてない。

つまりモラルが決定的に欠けてる。

あー、憂鬱だ。


毎日をちょっとずつやることのエネルギーしか今はない。

掃除をしたり、犬の散歩に行ったり、服を買ったり、彼女と遊んだり、空を見たり、バイトしたり、美術館に行ったり、朝のにおいをかいだり、ジャンパーを着るかジャケットにするか悩んだり、傘を忘れたり。


世界が進む。