2015-08-26
KEKE×内橋和久 一夜限りのセッション!!
かなり長らく更新していませんでしたが、今回29歳という節目である重要な公演が決定いたしました。 ずっと胸の内でしたためてはいましたが、後一歩勇気が出ずにいました。
ぜひ、見にいらしてください。
ダンサーKEKEと音楽家内橋和久との一夜限りのセッション
「O」(オー)
はじまりもなければおわりもない
どこにもかどがなく
よどみもひっかかりもない
けれどとまってはいない
ある ということは
きっとありつづけるということでしかない
けどたぶん
なかったことなんてきっといちどもないのだけど
出演:KEKE 内橋和久
日時 9月28日㈪
開演時間 19:30(開場は15分前)
at両国門天ホール
料金 2500円(前売り・当日ともに)
KEKE/ダンサー・俳優
尾花藍子主宰のダンスカンパニー「ときかたち」所属。
東 京都生まれ。高校時代から演劇をはじめ、大学在学中に身体表現「ミイム」を和田千恵子氏に師事し現在も続けている。大学卒業後に伊藤キム主宰のダンスカン パニー「輝く未来」に所属し、同カンパニー解散までメンバーとして活動する。カンパニー解散後は、かえるP、MOKK、グラインダーマン、尾花藍子の作品 などでダンサーとして活動している。
同時並行で俳優業も続けており、ひょっとこ乱舞(現アマヤドリ)、アジア舞台芸術祭、冨士山アネット、 ttu、PARCOプロデュース作品などに出演している。内橋和久氏との出会いはこのPARCOプロデュース作品「レミング」(原作:寺山修司 演出:松 本雄吉 音楽:内橋和久)においてであり、その後同年の維新派本公演「MAREBITO」(瀬戸内芸術祭参加作品)にも役者として参加した。
公式ブログ
http://keke-play.blogspot.jp/search?updated-min=2013-01-01T00:00:00%2B09:00&updated-max=2014-01-01T00:00:00%2B09:00&max-results=3
内橋和久/音楽家
イノセントレコード主宰。 インプロヴィゼーショントリオ/アルタードステイツ主宰。
1983年頃から即興を中心とした音楽に取り組み始め、国内外の様々な音楽家と共演。映画や
ダンス、演劇などの音楽も手掛け、中でも「劇団維新派」の舞台音楽監督を30年にわたり務
めている。音楽家同士の交流、切磋琢磨を促す[場]を積極的に作り出し、即興ワークショップ
を世界各地で行う。即興音楽フェスティヴァル・ビヨンド・イノセンスを1996年より開催。
近年はこれらの活動と併行してUA、細野晴臣、くるり,七尾旅人、青葉市子、おおたか静流
らと歌に取り組む。即興音楽家とポップミュージシャンの交流の必要性を説く。
また、NPOビヨンドイノセンスを立ち上げ、大阪でオルタナティヴ・スペースBRIDGEを
運営したことでも知られる。近年はアジアに目を向け、出会いを求めて各地を旅する。とりわけインドネシアのデュオSENYAWAとは交流が深く、新バンド「MAHANYAWA」を結成。
ドイツの音楽家ハンス・ライヒェルが発明したダクソフォンの継承者としても知られている。
ベルリン在住
innocentrecord.com
ご予約
keke.play@gmail.com
2013-10-19
夏じまい 帰京編 その2
朝七時
島での生活リズムが身に染み込んでしまい、たとえ体調が悪くとも律儀に目が覚める。
やはり本調子には程遠いが、昨日無理をした割にはそこまで悪化もしていない。
布団の中でふわふわとしながら今日の予定を考えた。
四日市市
三重県
かなり憂鬱になる。
今日は東京まで一気に帰らないといけない。
朝早く起きて出発すればそれだけ後が楽になるのに、
結局8時半くらいまでご飯を食べたりダラダラとしてしまった。
そして食堂のテレビを見て今回の朝ドラの主演が杏であることを知る。
島にいる時も大阪にいる時も、ほとんどテレビを見なかった。
テレビや新聞を見ないことで失っていたものはとても大きく、
東京オリンピックが決まったことも1週間くらい経てから知った。
そして反対運動が起きていたことも。
しかしそういいったあふれかえる情報とは全く隔絶された生活で
実は退屈したことはほとんどない。
むしろ、実際に目の前に存在する人間と言葉を交わすことがとても多かった。
宿舎は寝る時も食べる時も必ず誰かがいたし、
プライベートな時間はほとんどなかった。
むしろ、本番舞台上に立っている時が
ある意味で最も孤独でプライベートな時間だった。
ただ、ふと島で気付いたことがある。
あまり、イライラしない。
テレビでは必ず誰かが怒っている。
もしくは僕を怒らせる発言、振る舞いをする人がいる。
明るいニュースは少ない。
考えなくちゃいけない問題がたくさんある。
ありすぎる。
ひとつひとつを慣れないように、見過ごさないようにするには
かなり大変な時間を使って、
考えなくちゃいけない。調べなくちゃいけない。
そういった作業でどうにかひねり出す、言葉を
心に留めておかなくちゃいけない。
それでも毎日毎日新しいニュースが生まれる。
誰かが傷つけられ、汚染水は流れる。
どこかで理不尽な権力が行使される。不正がある。
でもその人たちと僕は実際に出会っているわけじゃないし、
直接僕には被害がないこともある。
でも人として、自分をきちんと確立して行くために考える。
わたしとは、なにかってことだ。
義憤というのだろうか
社会に良くない。人間としておかしい。
そんな怒り。
意外と不純なもんだ。
僕の場合は、完全に公の立場に立って他人にものを言うなんてできないと思った。
ひとまず、精神にあまりいい影響を与えるものではなかった。
限られた情報で何かを考えるよりも
目の前にいる人と喋ったりした方がずっといい。
そんな当然のことに思い至る。
さて、長居しすぎた。
行こう
* * *
また、国道1号戦をひたすらに進む。
昨日の反省で今日は昼間から完全防備で進む。
ホッカイロを持っているわけではないので、寒くなる前にどれだけ熱を保っていられるかが重要だ。
きのうは寒くなってから厚着したのであまり意味がなかった。
関西方面を走っていると
東京ナンバーというだけで大型トラックに幅寄せを食らうことがよくある。
しかし座席には変なクッションが貼られているわ
雨でもないのに蛍光ブルーの河童をきているわ、ジャンパーにちょっとしろぬりついてるわで、
みんな二度見をするものの、あまり嫌がらせを喰らわない。
しかもこのバイク絶対に盗まれないだろう。
完璧な防犯だ。
でも、
ほっとくと捨てられるかもしれない。
昼頃に三重をようやく脱出。
かなり早い段階で昨日のようなやめられない止まらない状態に入ったので
かなりいいペース。
来る時は全ての行程を22時間で終えたので
早くて23時、遅くて明日の1時くらいには辿り着けるだろうと予想。
ただ、行きは迷いまくったのでそれくらいかかった。
今回はそこまで迷ってもいないので、早めに帰れるかもしれない。
* * *
静岡、でかい。
くる時も思ったが、本当に静岡はでかい。
いつまでたっても静岡を抜けられない。
案の定日が暮れたその瞬間くらいに御殿場に到着。
隣が富士の樹海というもんのすごい怖い状況でバイクをはしらせる。
闇。
昨日も思ったが、
もはや形があるとしか思えない
闇。
そして、ようよう寒さがしみてくる。
また、フジサファリパーク沿いとはいえ県道である。
街灯がない。
気がつくと深い側溝の5センチ隣をずっと走っていた。
背筋が冷える。
また、ガードレールもないため、闇の中でカーブがくると本当に怖い。
対向車もなければ後続車もないため、右カーブか左カーブかもよくわからない。
一度通った道のはずだが、昼と夜で山は表情を驚くほど変えてしまう。
全く記憶にない道だと感じる。
怖すぎて、ずっと脳内でPerfumeをかけまくるが、
よくかんがえるとフルコーラス知らない曲ばっかりだった。
富士の樹海は、なにかがやはり違う。
あすこは怖い。
何が怖いかというと、怖いのに、入りたくなってしまう。
不思議な感覚だが、外から見ている分には怖いが
入ってしまえば安心してしまうのではないか、
そこには安逸の時間があるのではないか
突っ込んでしまっても大丈夫なんじゃないか
うまく木々に助けられるのではないか
なんとなくそう感じてしまう。入りたくなってしまう。
魅力がある。
ようやくコンビニに着いた時は叫んだ
「人里イエエエエエエエエエエエエエイイイ」
* * *
21時、まだ静岡にいる。
最後の食事にラーメンを食べ、山中湖に続く道に行く。
ラスト、ここから家まではずっと峠だ。
ラーメン屋さんのお兄ちゃんに二度見されながら、またもっこもこに着込む。
さあ、今日中に着くぞ。
寒い
富士の樹海とは全く違ったしんしんとしたくらい夜道を淡々と走る。
そして、ミスに気がつく。
ガソリンスタンドが閉まっている。
入れ忘れた。
残り半分、およそ1,6リットル。
あと、60キロくらい。
ギリギリだ。
なるべくアクセルを静かに空け、
ガソリンを消費しないように走る。
静かな森を静かに走る。
置物のように座っていた。
溶けていく。
道に、風に溶けて行く。
音が
エンジンの音が
森に溶けて行く。
と、警察。
せっかくのペースを乱されて少しイライラ。
40キロしかだしてねえよ。
再スタートが1番ガソリン食うんだよ。ふざけんなよ。
あ、もしかして整備不良か。ヤバイか。
いや、ライトきちんと点いてるし、テープで止めてるし
実は法的にかなりギリギリ整備不良車ではないのだ。
「検問です」
あ、そう。
「いやあ、八王子からですか」
「えー、あ、はい。自宅は」
「遠いところからきましたね」
「そう…。。ですね」
「あれ、帰りですか?」
「はい、まあ、今日は大阪から来たんですが」
「え?」
「あの、大阪から…」
「…これで?」
「はい」
「おおぅぅん」
最後は不明瞭な音を出して遮断された。面倒だとおもわれたのだろう。
「あ、ガソリン大丈夫ですか?」
お!!
まさか補給的な器具が何処かにあるのか。
そういえばあの物々しいパトカーにそんなのがありそうな
まあこんな山の中で検問やるんだからそういった市民のニーズに合わせてるのかもしれない。
「いやぁ、実はギリギリなんです。あと一リットルもあれば安心なんですが」
「そうですか、分けてあげることとかは出来ないんですが」
じゃあ何で聞いたんだよ
「この辺、スタンドとかありますか?」
「いや、もうやってないと思いますよ」
「ちょっと足りなそうなんですよね、まあ、ギリギリかなとはおもうんですが」
「そうですか、気をつけてくださいね」
気を付ける?
何に?
ガソリンがないのに何をきをつけるんだ。
お前らの車は何で動いているんだ。
その大型車のガソリンを1リットル使ったらガス欠になるのか。
そんなギリギリの量しか入れずに業務を行っているのか。
自転車旅行をしている時も思ったが、
本当に警察は肝心な時に役に立たない。
人目からこそこそ隠れて一時停止違反を待ち伏せはしても
ガス欠寸前の人間に余っているガソリンは渡さない。
これで山奥でガス欠になって道ふさいでたら僕は検挙されるんだろうか。
警察は国家のお墨付きを貰った暴力装置であるとしか思っていない。
イライラを抑えてまた一定の速度で走り出す。
* * *
ふーん、よくできてんなぁ
そうか、道志は鹿が有名なんだな。
へえ、でも、あれ、これ道の真ん中…
本物だ!!!
僕「うおおお(急ブレーキ)」
鹿「おお!」
僕「お、、」
鹿「おお、、、」
僕「あ、えっと」
鹿「えー、」
僕「いや、なんか……はは」
鹿「うん…ふふ(森に帰る)」
僕「うん、ふふ…すいま、うん」
何故か
照れた
* * *
不思議なもんで
無意識なのだが、休憩場所が行きとかぶることが多い。
道自体もころころ変えているはずなのに。
道志みちを越え、山中湖を越えて
ようやく神奈川県の相模原に入った。
23時。
帰れるのは恐らく1時だろう。
コンビニで今日何本のんだかわからないおーいお茶ホットを飲みながら考える。
行きもこのコンビニで同じものを飲んでいた。
あの時も寒かった。
夏なのに朝から雨が降って、薄着だったからだ。
夏
そう、来る時は夏だった。
8月1日
島から帰ったら寒くなっていた。
長袖をきて寒いなんてことは想像できなかった。
大阪で、犬島で、いろんなことがあった
そしてこの旅でも
8月1日の自分と
10月17日の自分は、立っている場所は同じでも
全く違うだろうと思う。
人間の細胞は約60兆個ある。
それらが全て代謝され、全く新しい細胞になるのに平均すると一ヶ月ほどかかるらしい
僕は大阪で一ヶ月
犬島で一ヶ月生活した
大げさに言ってしまえば、僕の今の細胞は全て
犬島で摂取した食べ物で作られている。
文字通り、違う人間なのだ。
さて、またかちかちかちかち……
あと、少し。
ガソリン持つかな
* * *
ガソリンスタンドだ!!
間に合った!!!
と思った時、それがいつもの家の近くのガソリンスタンドであることに気付く。
ふと周囲を見回すと見慣れた風景が
記憶の塊とともに精神にぶつかってきた
嘘のように、震えが引いた。
暖かくなった。
家に帰ると、かすかにカビ臭い匂いがした。
猫が出迎えた。
足をひきづり、痛む腰を抑えながら手を洗う。
台所を覗く。
見たことない食材と、見たことある食器と。
ぼくの自由のきかない台所。
飼い犬のリーがいない
もういない
旅立つ日、そんなになついてもいない僕にリーはじっと目を合わせてきた
深夜
しばらく見つめあった。
僕には何が渡されたのだろう
リーは僕が大阪に着いて少しして死んだ。
そしてその日、知り合いに子供が生まれた。
この宇宙の中で
何かが、バランスをとるように
生と死が密接に絡んでいる。
そして僕も
その大きな輪の中の
ほんの小さな一部であることに思い至って
一人、大阪の部屋で号泣した。
そのことを思い出した。
僕の部屋が8月1日を残していた。
部屋に寝転がる。
せまい。
やはりカビ臭いので、深夜だが窓を開けた。
冷えた外気が部屋中に流れ込んだ。
所々に残っていた夏の空気の残滓が、夜の闇に吸い込まれて行った。
深く息を吸った。
今年の夏が終わった。
夏を、しまった
2013-10-18
夏じまい 帰京編 その一
喉が痛い。体が重く、顔がぼんやりと熱い。
島の空気が優しく体を包んでいる。
後になってわかることだけれど、
犬島の空気はとてもやさしかった。なにかに支えられているようだった。
空気がきれい、ということだけじゃないのだと思う。
草や木の匂い、瓦屋根の風景、道端にあるアーティストたちの作品、
住んでいる人々の息遣い。
全てを合わせて空気を作っていたのだと思う。
10月16日、僕は犬島を離れた。天気は曇り。少しだけ雨。
肌寒い。
千秋楽の前日あたりから風邪をひいたようで、それが少し悪化していた。
本番終わったものの、せめて一日だけでもバラシに参加したいと思い、
雨のなか体調不良をおして強行した。
やはり裏目に出た。
これから原チャリで東京まで帰る道程を思うと憂鬱になる。しかも悪天候。
遠ざかっていく島を眺めて、思いのほか平静な気持ちでこれからのことに思いを馳せる。
この島で、一ヶ月もの間維新派の劇団の公演に参加していた。
やった本人でさえなんとも現実感のない出来事だ。
本当におわったのかな?
波が不規則に船底にあたって砕ける。スクリューは強い力で水面に三角系の波を作る。
一つとして、おなじ形がない。
すべてが一回性であり、見ていて飽きない。
ぼんやりとした頭で、すぐに考えるのをやめた。
※ ※ ※
大阪でとても好きだった家の近くのラーメン屋が潰れて、そこにインド料理屋ができていた。
たいして美味しくないそこのカレーを食べて、恐る恐るバイクのエンジンをかける。
かからない。
ちょっと予想できていた。僕の手に来るまでに既に10年は経ているボロボロの車体である。
エンジンはカブとは言え、さすがに一ヶ月雨ざらし。
無駄かなとは思いつつ、チョークをいっぱいに開け思いっきりキックをする。
あれ?ちょっとかかった。
何回かキックするうちに、聞きなれたエンジン音が響いた。
十分にエンジンを温めてやると、一定の律動でエンジンが動き始めた。
なんとも健気で、ちょっと泣けた。
また、頼むね。
東京からきたときの反省でケツがめちゃくちゃ痛かった。
それを防ぐためのクッションをビニールテープでぐるぐる巻きにする。
既にシールドは取れかかってるし、左のライトはだらーんと地面につきそうな勢い、
黒川のシートも敗れて黄土色の中身が飛び出しているし、
それらを全てビニールテープで補修(?)
でもエンジンの整備だけは定期的に必ず行っていた。
そんな風に労わりだしたのはぼろぼろになってからだけど。
「乗り物の扱い方を見れば女性の扱い方がわかる」
という俗説を聞いたときは
ちょっと笑えなかった。
※ ※ ※
来た時もそうだったが、
大阪などの都市部を抜けるのに結構時間がかかる。
道が複雑で、なかなかナビの道に行けない。
ちなみにナビはIpadのマップアプリのみ。
インターネットにつながないと細部の情報は見られなくなってしまうので
携帯の電池がなくなると、地図が見れなくなる。
出発したのは14時頃だったが、奈良県の天理市に着く頃にはもう日が暮れてしまった。
そして相変わらず体調が悪い。
頭が痛い。ぼーっとする。
鼻水はもう垂れるがままにしておいた。
どうせフルフェイスのヘルメットなので中まで覗く人もいないだろう。
風が冷たい。
山間部に入る前に、ユニクロでマフラーとヒートテックと手袋を購入。
ロングTシャツの上に白いヤンキーパーカー、青いジャケット(白塗り付き)
その上に雨合羽(蛍光ブルー)マフラー、手袋、
ぼろぼろのスニーカー、ビニールテープでぐるぐるの原チャは東京ナンバー。
ユニクロの人がなぜ不審そうに
僕を見ていたかがわかる。
iPadのアプリは何故か自動車専用道路を執拗にたどろうとするので
原チャが通れない道をよく指示される。
かといって徒歩のルートで検索するとよくわからん田んぼの農道などを通そうとするのでなかなか注意が必要だ。
だいたい来た道をたどっているはずなのだが、田舎の道だと昼と夜で大分景色が違う。
今日の目標は静岡県は浜松までいくことに漠然と決めていた。
ぼくの地元は山なので、
ラストの峠越えを深夜にしてしまうと泣きを見ると思ったからだ。
しかしこのペースでは行けないかもしれない。
平均すると一時間に15キロほどしか進めていない。
ちなみに全ての行程では472km
18時の時点で大阪から60キロほどしか進んでいない。
あ、ダメだ。これ着かないよ。
いや、でもこのあと山道で一本道だから一時間40キロペースで進むはずだ。
本当にそう思っていた。
※ ※ ※
山みちは、国道を進みたい。
なぜなら整備されてるから。
やはり国土交通省の管轄だからか、県道に比べ舗装はちゃんとしているし
街灯もきちんと付いている。
そのはずが
国道25号
ここはあかんよ
ぼっこぼこ。
ほぼ未舗装。
しかも雨が降っていて穴が見えない。
途中で「発破予告」と書かれた看板を見つけた。
どこかで爆破作業がいまも継続中らしく、その時間は爆発が危なすぎて通れない。
そんな国道あるんかい
行きはまだ昼間だったから良かったが、暗闇の中この未舗装の道を走るのは辛い。
また、夜の山はその表情を昼とは全く変えてくる。
襲いかかってくるような暴力的な闇が左右に迫っている。
鳥の声や草いきれの音が妙に不気味で、もしエンストしたらという不穏な想像が止められない。
きっと有料道路の方の25号はそんなことはないのだろう。
ただ、原チャでは側道をぐねぐねと曲がりくねりながら通るしかない。
暗い森を抜けると
ふだんはうっとおしい車の音やヘッドライトが
あんなに人を安心させるなんて。
かなり体力と精神力を削られたうえに、とても40キロ平均でなんか走れない。
まずい。
そして鼻水が止まらない。
寝たい。
※ ※ ※
三重県に入り、ようやく山みちを抜けた。
国道1号線をひたすら走る。
寒い
寒い
寒い
山で雨に降られ、厚着をするのが遅すぎた。
手足の感覚がかんぜんに消えた。
歯の根が合わないとはこのことだろうか。
先ほどからずっと歯がカチカチと鳴っている。
それなのに
妙に気持ちが冴えている。
正確なライディングができる。
気持ちが、凪いでいく。
コンビニが見えて、ひと休みせよと脳みそが言っている。
なのに
まだいける
まだいけるよ
この時間を逃がしたくない。
この集中した時間。
歯が激しく鳴る。ほぼ痙攣に近い。
なのに止まれない。
たまに止まって、温かい飲み物を飲むと、まっすぐ歩けないほどの激しい震えが来る。
そうなると怖くなる。
なので、休まない。
一定に鳴り続ける歯で8ビートや16ビートにならないか試してみる。
前歯を鳴らすと、ちょっと曇った音が鳴る。
歯垢が溜まってるなぁ
ああ、お昼ご飯のあと歯磨きするの忘れてた。
そんなことをぼんやりと考える。
感覚が麻痺する。
※ ※ ※
晩御飯に鈴鹿でうどんを食べてもまったく体温が戻らない。
現在21時。浜松なんて絶対につけない。
これだけ生姜を大量に食べても体があったまらないのはちょっとおかしい。
そして体調がやはりあまりよくない。
というわけで
四日市で一泊することにする。
二日目、つまり明日がかなりの強行日程になってしまう
一日で三重から東京へ
しかも原チャ
今日早めに眠って体力を回復したほうが良いと判断。
再び1号線を走る。
5分もしないうちにまた震えが止まらなくなる。
かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち
その速さはX‐JAPANのYOSHIKIのバスドラム並みである。
かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち
きょう泊まるホテルを予約しようとしたら
携帯の電源が切れた。
スマホの電池が長く使えるようになるだけで
ノーベル賞ものだと思うんだけどなぁ
かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち
戦人塚といういくさで戦った人たちの魂が眠る場所があり、
交差点になると何故か漢字の読みが仙人塚になっていた。
何故か、腹が立った。
血なまぐさいもの、時間を、きれいなイメージで隠蔽しようとしているような印象を受けた。
かちかちかちかちかちかちかち
かちかちかちかちかちかちかちかちかち
かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち
かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち
コンビニで立ち止まり、暑いお茶を飲むと、
また激烈な震えが来た。
手足の感覚は麻痺したままだが、宙を浮いているような感覚になる。
かちかちかちかちかちかちかち
かちかちかちかちかちかちかちかちかち
かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち
かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち
別れた彼女のことが急に思い出された。
なぜかはわからない
はっきりしてるんだか朦朧としてるんだかよくわからない精神状態のなか
いろいろな思いが浮かんでは消えていく。
別れたすぐ次の月だったろうか、彼女の父親が脳梗塞で倒れた。
母親が既にいないので、相当なダメージだったと思う。
あまり良い別れ方ではなかったし、連絡しようかどうか迷ったが、結局連絡しなかった。
まちがっていただろうか
しかしどの口で何が言えただろうか
結局、外面的には彼女のためだとか言いながら自分のためだけになにかをしてしまうと思ったので
しなかった
まちがっていただろうか
いや、多分間違っていなかったな。
かちかちかちかちかちかちかち
かちかちかちかちかちかちかちかちかち
かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち
かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち
※ ※ ※
「本日、満室」
かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち
なんも考えたくない。
ほかにホテルがあるだろうか。
浮いているような感覚で、なんとかホテルを見つけ出し、泊まった。
部屋で、とにかく濡れた衣服を脱ぎ捨て、お風呂にお湯をためた。
35度くらいのお湯だったのに火傷するようにあつかった。
バスタブで激しく痙攣する。
体温がもどるとき、全身の血管に血液が行く時、
痛い
とにかく身をよじりたくなるくらい
痛い
※ ※ ※
体温がもどると、今度は急激な発熱で動けなくなった。
マスクをして、風邪薬を飲んで、首に濡れタオルを巻いて眠った。
暑さでぼーっとするのに、寒い。
明日は、もっときつい。
街の空気はやさしくないなぁ
公演が終わった達成感や、メンバーと別れる寂しさや、島の想い出に浸る感傷もへったくれもなく
眠った。
2013-01-07
本番
瞬間、意識を喪った。
それは本当に一瞬のことであるから、ぶっ倒れるとかそういうことにまでは至らなかった。
白熱灯のオレンジのあかりに染められた白い壁に少し、音をたてないように手をついた。
意識を確認する。
すうっと、波が引いていくように全身に血がめぐる。体温がもどる。大丈夫だ。たぶん倒れることはないだろうと判断した。
それまでの準備運動を一旦休止する。
準備運動といっても、かなり激しく呼吸をして体を上下に折り曲げるものであった。
稽古の時分にも言われたが、きちんと呼吸ができていれば酸欠、あるいは過呼吸の状態にはならない。
つまり吸気、排気の比率が等分になされていれば思いのほかこの運動は肉体的に楽なもので、しかも全身の細胞をほぼくまなく使用することができる。
からだを起こすアップには最適なのだ。
ただ、いま意識を喪ったということはそれがうまくいっていなかったので、自分はまだまだ未熟で身体は未覚醒であるということなのだ。
もうすぐ本番なのに。
すぐに自意識が舞い戻る。瞬間意識を喪っていたことを周りの人間に気取られていないか横目でうかがう。
別の出演者のスタッフは変わらぬ様子でタバコを吸っている。
時間を確認すると、自分の出番までまだ1時間ほどあった。
本番までには疲れきってしまおうと考えていた。
ただその疲れきるまでの道のりを幾度となく修正しながらいまだに自分は決めきれていなかった。
30分前に一気にやってしまおうとも考えていた。
ただ、もしその短い時間のなかで最高の状態に持っていくことができなかったらと思うと非常な恐怖だった。
だからといっていまから始めてしまって、知らず知らず手を抜いて、嫌らしくねっちりとした疲労だけが残ってしまうのも最悪だ。
実際に稽古の段階でそういうことが起きた。
何もできないうえに頭の中の自意識だけはのさばって、形だけの覇気のないものになった。
手のひらをひらひらと動かす。この時に足の裏や腰が直接意識にのぼっていないとダメな状態。
実際に今は手のひらだけしか意識できていない。応えてくれない。
ふっと直立する。
どんな感覚だろうが、直立した時に一切の無駄な力が入ってない状態こそが本物だ。と最近ようやく気がついた。
まだ、遠い。
僕は誰に断るわけでもなくスタッフルームの小さな更衣室周辺を独占して練習をしている。
誰ともしゃべりたくなかった。
何を思われようとも自分の練習を全うしたかった。
僕は再び激しい呼吸運動を再開した。
オレンジ色の光源が視界の中で長い尾を引く。
床面の灰色と混じる。
吸う、吐く、吸う、吐く。
遠い、遠い。上半身だけでやっている。
だめだ。失敗した。止めようか。
でも、理性でぐっとこらえる。
ここで諦めてしまってはまた繰り返しだ。
吸う、吐く、吸う、吐く。
床下から、膝から、頭の後ろの方に吐く。吸う。
徐々に足の裏に体重が乗ってくる。
ああ、そうだった。体重を使うんだった。
なんで忘れてしまうのだろう。なんで10分前にできていたことがすぐに逃げていってしまうのだろう。
吸う、吐く、吸う、吐く
だんだん楽になってきた。
体の中を見ているような妄想が生まれる。
体の中は暗黒。
たまにその暗黒の中に黄色と肌色の液体が吹き出している映像を見ることがある。
徐々に体が温まると、顔が消える。
輪郭が消える。
腰が消えてくるとかなり、良い。
本当は足も消えたいけど、そこまでに至ったことはない。
いつか、いつか。
っていうか、いま
ああ、ダメだ。逃げていった。暗黒が逃げていった。
欲だ、欲なんだ。何かをやろうとするといつもこれだ。
驕りなんだ。過信なんだ。
口惜しい。
この馬鹿は一生治らないだろう。
体よりも頭で考える馬鹿。
何度失敗したら気が済むんだ。
ふっと息をつく。
直立する。
だいぶ力が抜けてきた。
また這いよる自意識。これだけの呼吸を繰り返したから相当うるさかったと思う。
気にしていない、と判断。
時間はまだまだ先である。
もっと疲れきってしまわなければ。
今回の作品には原風景がある。
タイル張りの稽古場に、深夜、自分自身がうなだれている光景。
足元が底から寒くて、たった一人で、沈黙の中にいるというだけなのだけれど、
それはテーマとかではない。イメージというのとも微妙に違う。
稽古を続けるうちに脊椎の周りあたりに澱のように少しづつ蓄積されていったものだ。
踊っていると無意識下にそんな風景を、見ている。
見ている、と気がつかないくらい当たり前のように目の前に見ている。
希望でも絶望でもない。意味は持っていない。
※ ※ ※
足元がふらついた。
こんなことは初めてだ。
一歩目を踏み外し、慌てて二歩目を出す。
何故足がこんなに震えるのかわからない。
やはり稽古のしすぎで筋肉が支えきれないのだろうか。
いや、違う。
緊張してるんだ。
本番の暗黒のなかで割合冷静だった。
最初の曲の一音目で動き出すのだが、初めて転びそうになった。
ぶるぶるとつま先が震える。
でもその後の曲が激しくなる部分で体を動かした後はほとんど緊張しなかった。
粒子を、一つ一つ潰すように、嘘の無いように足の裏を踏む。
嘘。
嘘は絶対ダメだ。
アーティストは嘘は付いちゃいけない。
悪いものはいい。善いものは当然いい。
気持ちの良いものも、気持ちの悪いものも、当然すぎるほどいい。
毒も悪も、アーティストは許される。
虚構であるなら、舞台上で人を殺してもいい。犯してもいい。倫理をやぶってもいい。
でも、嘘はだめだ。
偽善は最悪だ。
まだまだ
まだまだ
もっと嘘をつくな。
それを見せられている方は退屈かもしれない。
未熟で。その上馬鹿な自分はいっそ動かない、ということを選択する。
本当に、本当になったら動く。
でも、そこにしかない。
そこにしか、自分の嘘のない時間を見せるすべがない。
そんな程度で作品を作るなと言われたら、大いにその通りだ。
反論の余地もない。
でも逆に僕はそれがないがしろにされている作品を沢山見てきた。
自分も作ってきた。
それだけが許せない。
クソ、クソ、
※ ※ ※
本番が終わり、楽屋に倒れ込んだ。
そしてぼんやりと次回作のことを考えながら雑に整理体操をした。
天井のアクリル板にうっすらと自分の姿が映っていた。
つかれた
※ ※ ※
衝動にかられた。
記述したい。
夜風に当たり、シャッターのしまった繊維街通りを歩きながら思う。
今日の体験を記述しよう。
きっと虚実入り混じったものになるだろうけれど。
明日はもうすでにバイトが入っているから、たぶんその次の日になるだろう。
でも禁忌のような気がした。
ダンサーがその体験の一部始終をしかも言葉に乗せて書いてしまうことは。
でも、衝動は確固たるものだった。
きっと自分の地盤になるだろうという薄い予感があった。
虚実といっても、言葉で書いた瞬間にそれはもう嘘になるのだ。
だから、何?
書き出しは、短いほうがいい。
しかも、急で、はっとするような、体の感覚に根ざした言葉からが良い。
2012-11-02
龍泉洞
先日、例によって一人旅で岩手県の龍泉洞に行ってきた。
龍泉洞は日本三大地底湖の一つで、その透明度は世界一を誇る。
本当は2泊3日で盛岡周辺も回るつもりだったけれど、バイトに入らなくちゃいけなかったりして
結局1泊の旅となった。
龍泉洞は盛岡からもバスで2時間ほどかかるので、(しかも本数は日に4本)
本当にただ龍泉洞にいって帰ってくるだけの旅になった。
チケットは往復の新幹線とホテル代がコミコミで安くなっているものを買ったので、
帰りの新幹線の時間も指定されていて、本当に時間的余裕がなかった。
まあ正直なところ龍泉洞以外に盛岡で見たいものもなかったので、もったいないような気もするけど、
そこのところは微妙に意識操作をして旅立った。
行きの新幹線の車中ではやばいかなぁやばいかなぁと思いつつ、詩に手を出す。
ボルヘスはたいしたことなかったけれど、ウィリアム・ブレイクという英国の詩人に打たれた。
打たれた。と言っていい。圧倒的なヴィジョンだった。
そうかこれが詩人か、と嘆息する。
しかし、福島県を越えたあたりで、新幹線のチケットが盛岡よりも手前の北上までのチケットであることに気がつく。
まあ路線上ではひと駅ふた駅なのでさして問題はないかと思う。
それよりもウィリアム・ブレイクだと、再び取り掛かる。
※ ※ ※
北上は東北の空気だった。
あの、どこか陰鬱で物寂しい空気が駅を出た僕を包む。
岩手第二の都市だと聞いていたけれど、やはりこの寂しさは東北ならではだ。
とりあえずホテルにチェックインしてから、街をぶらぶらする。
かなり寒いことを聞いていたので、防寒用のジャケットやマフラーをカバンに詰めてきたが、
面倒なので着てこなかった。
街をぶらつきながら、今日は何を食べようか思案する。
ごりごりの地元の飲み屋に突入するのもいいし、あえてラーメン屋とかに行くのもいいし。
作品のことを考えたり、自分のことや過去のことを考えたり、内側の言葉がどんどん肥大していく。
東京の人ごみの中では決してこういう状態になることは無い。
2時間ほどぶらついてほとんど人とすれ違わない地方都市ならではの状態だと思う。
この空気に馴染まないうちははっきり言ってとにかく寂しさに心細くなる。
一人できたことを後悔する。
誰かにメールをしたくなるし、電話をしたくなる。
自分が新しい土地にいることを、いつもの土地にいる人間と会話することで再認識したい。
そうやって自分のつながりをとかく強調したくなる。
根無し草であることは、それなりに苦痛なのだ。
でもそれに慣れてしまうと、どこまでもどこまでも自分の内側に没頭できる宝物のような時間が待っている。
人ごみの中ではいやが応にも思索が遮断されてしまう視線や、会話や、音楽が何もない。
どこまでもどこまでも、自分の何倍もの大きさに思念が肥大していくのがわかる。
ばれやしない、とわかると精神はどこまでも伸びやかに広がっていく。
それが、僕の一人旅の醍醐味かもしれない。
※ ※ ※
結局入ったラーメン屋さんは別に普通の味で、しかも頼んだ餃子に頼みもしないエビが入っていた。
僕は半泣きで平らげたが、やはり盛岡まで電車で出て行って冷麺でも食うべきだったかと後悔する。
ただ、電車の時間を調べて愕然とした。
本数がすっくない。
東北の電車を舐めていた。
このあたりは車がないと本当に生活が厳しいことを改めて思い知る。
以前自転車で山形まで行った時は時刻表なんぞ見なかったから、また東京の感覚になっていた。
あわてて明日のバスの時間に間に合うような電車を検索する。
バスの出発が盛岡発9;40なので(龍泉洞に到着は11:52)
それに間に合うような電車を探したが、運良く9;12着の電車があったので一安心。
ただ、それをのがすとまた一時間ほどまたなくてはならず、
そうすると次に龍泉洞に行くバスは12時発車になり、
龍泉洞から帰りのバスが盛岡につくのは18時くらいになる。
新幹線のチケットは危惧したとおり北上出発になっているので、
盛岡から北上までのチケットを買い足さなければならない。
これは結局安くなってはいないんじゃないかと脳裏を考えがよぎったが、苛立つだけなので
またも意識操作をする。
夜が深い。
地元で買った地酒の日本酒を煽りながら、夜の街をそぞろ歩く。
さすがに寒くなってきたが、ホテルにいちいちとりにいくのも面倒だ。
なんとなく足の向くままに北上川に出る。
東北の、ねっとりとした圧力のある、それでいて広大な夜の中で、北上川が流れていた。
かなり大きな河のはずだがあまりに闇が濃いため全貌が見えない。
おそらく、昼間に来たらそうとういい景色だろうと推察する。
ただ、夜は川は姿を変えるのだと気づく。
一度川面に降りようと思ったが、引きずり込まれるような妄想が浮かんでやめた。
明らかに夜の川には魔力がある。
質量のありそうな闇を見ながら、漠然と「暴力」という言葉が浮かぶ。
暴力
なぜかはよくわからない。
しかし目の前に浮かぶ闇にあらあらしさはみじんもない。
痛くも痒くもない。でも、浮かんでは浮かんでは消えなかった。
暴力
※ ※ ※
次の日、ぼくは呆然と盛岡駅のバスターミナルにいた。
今の時刻
9:41。
清掃のおばちゃんに声をかける。
「あの、龍泉洞に行くバスってもう行っちゃいましたか?」
五分前。
9:36バスが到着。
乗り込もうとした時に気がつく。
うんこしたい
っつうか、これは下痢ですね。この痛さ。
素早く車中を見る。夜行バスではないのでトイレの設備はない。
これで二時間はきつい。無理だ。負ける。うんこに負ける。
僕はトイレに走った。
3分でして、1分で帰る。
一瞬、大して乗客もいないのでちょっとだけ運転手さんに待ってもらおうと言おうと思ったが、
ひとまずトイレに走る。
そして、
「あ、さっき出ちゃいましたよバス」
おばちゃん!!!
あ、おばちゃん関係ないや。あたってどうする。
ま、僕のうんこも出ちゃったんですけどね、って言おうとして、やめる。
そんなことしたら自らの切なさに自死してしまいそうだ。
っていうか本当に運転手さんに一言いっておけばよかった。
途方にくれる。
みどりの窓口に聞いたところ、指定席の時間変更ができないとのこと。
たぶんホテルの宿泊券とセットになっているためだろう。
ううううううううんんんん。
ここまで来て龍泉洞を見ないで帰るのはやりたくない。
かといって電車が通っている場所でもない。
まさか乗車5分前にこんなミラクル・ストマクエックがくるとは思っていなかった。
僕は眦を決して、バスのチケットを払い戻しタクシー乗り場に向かった。
「あの、龍泉洞ってどのくらいかかりますか?」
「え、龍泉洞ってあの龍泉洞?」
「はい」
「うーん、乗せたことないけど、・・・・・まあ2時間かそころかなぁ」
となると今すぐ出発すれば、バスと大して変わらない時間に到着するはずだ。
「あの、料金は・・・・?」
「いや、よくわかんないけど・・まあ1万5千か2万くらいかなぁ・・・・?」
大散財だな。
でも決断は早くしなければ。
「わかりました。ありがとうございます」
僕はなるべく無感覚になってお金をおろし、次のタクシーで龍泉洞に向かった。
心の中でまた無駄金使ったぞーと騒いでいる奴がいるが、また考えないことにする。
※ ※ ※
1万5千でようやく龍泉洞にたどり着いた。
本当は2万をゆうに越えていたはずだが、タクシーのおっちゃんと二時間くらい
わきあいあいと喋っていたら、だまってタクシーのメーターを止めてくれた。
ありがとうおっちゃん。
車内では東北の大震災に始まり、実に様々な話をした。
最近では一日働いて1万5千ももらわないことも多いらしい。
でも、ありがとうおっちゃん。
一段と空気が、冷える。
周りには本当に龍泉洞以外何もない山である。
ちょっと雨が降っていた。
龍泉洞内部は、見事な鍾乳洞だ。
気温は一年を通じておよそ12℃。湿度は98%。
触れたことのない空気に心が踊る。
胎内じみた狭い通路を抜けると、ごうううと凄い音を立てて地下水が流れている。
その透明度。
凄まじい透明度。
ここに落ちたら絶対に助からない気がする。
いくつかの地底湖を経て、ようやく一番深い地底湖にたどり着く。
東日本大震災で一時期透明度が落ちたらしいが、それも落ち着いている。
どれくらい透明かというと、80m下まで一円玉が見えるくらいに透明。
あいにく前日の雨で水滴が激しく湖面を揺らしているため、うまく水底が見えない。
よっぽどゴーグルをつけて直接中を覗き込んでやろうかと思った。
一般公開されているのはここまでだが、奥にはさらに深い泉があることが推定されている。
しかし、あまりに危険で、調査開始から40年たってもまだ完全に解明されてはいない。
一件透明に見えるが、壁の表面に付着した堆積物は少し触れただけでもくもくとダイバーをおおってしまう。
そなると右も左も上も下もわからなくなり、パニックになって酸素をいたずらに消費して、
やがて窒息して永遠にこの泉から出られなくなる。
僕は、この透明で冷たい世界に、死んだダイバーがひっそりと浮かんでいる姿を想像した。
どこまでもどこまでも透明な世界に、動かない死体がひとつ。
何か恐怖とともに憧れに似たような感情がせり上がる。
僕は周りに人がいないことを確認して、一円玉を取り出して、泉に投げてみた。
ゆらゆらと左右に揺れながら、一円玉が降りていく。
時々証明を鋭く反射させながら、なるほどどこまでも落ちていく。
ずっと見えている。
透明度が高いということは、貧栄養湖であるということである。
つまり栄養がない、生き物がいないということである。
徹底的に死の世界なのだ。
だから腐敗も進まないのではないだろうか。
この徹底した死の世界に嫌でも惹かれてしまうこの生命の気持ちはどこから来るのだろう?
※ ※ ※
新幹線に乗って都会に近づくにつれて、だんだんもとの精神状態に戻っていく。
思念の幅は徐々に狭くなっていき、新宿に着く頃には大体身の丈と同じくらいに収まっていく。
本当はこの岩手旅行のことは書く事をせずに、次の作品に活かそうと思っていた。
でも書いてみて、僕があの地底湖で感じたことは全然踊りにも変換できると思った。
書く事と踊ることは違うのだろう。
まあだし口の問題だと思うけど。
また、暇になったら旅に出よう。
龍泉洞は日本三大地底湖の一つで、その透明度は世界一を誇る。
本当は2泊3日で盛岡周辺も回るつもりだったけれど、バイトに入らなくちゃいけなかったりして
結局1泊の旅となった。
龍泉洞は盛岡からもバスで2時間ほどかかるので、(しかも本数は日に4本)
本当にただ龍泉洞にいって帰ってくるだけの旅になった。
チケットは往復の新幹線とホテル代がコミコミで安くなっているものを買ったので、
帰りの新幹線の時間も指定されていて、本当に時間的余裕がなかった。
まあ正直なところ龍泉洞以外に盛岡で見たいものもなかったので、もったいないような気もするけど、
そこのところは微妙に意識操作をして旅立った。
行きの新幹線の車中ではやばいかなぁやばいかなぁと思いつつ、詩に手を出す。
ボルヘスはたいしたことなかったけれど、ウィリアム・ブレイクという英国の詩人に打たれた。
打たれた。と言っていい。圧倒的なヴィジョンだった。
そうかこれが詩人か、と嘆息する。
しかし、福島県を越えたあたりで、新幹線のチケットが盛岡よりも手前の北上までのチケットであることに気がつく。
まあ路線上ではひと駅ふた駅なのでさして問題はないかと思う。
それよりもウィリアム・ブレイクだと、再び取り掛かる。
※ ※ ※
北上は東北の空気だった。
あの、どこか陰鬱で物寂しい空気が駅を出た僕を包む。
岩手第二の都市だと聞いていたけれど、やはりこの寂しさは東北ならではだ。
とりあえずホテルにチェックインしてから、街をぶらぶらする。
かなり寒いことを聞いていたので、防寒用のジャケットやマフラーをカバンに詰めてきたが、
面倒なので着てこなかった。
街をぶらつきながら、今日は何を食べようか思案する。
ごりごりの地元の飲み屋に突入するのもいいし、あえてラーメン屋とかに行くのもいいし。
作品のことを考えたり、自分のことや過去のことを考えたり、内側の言葉がどんどん肥大していく。
東京の人ごみの中では決してこういう状態になることは無い。
2時間ほどぶらついてほとんど人とすれ違わない地方都市ならではの状態だと思う。
この空気に馴染まないうちははっきり言ってとにかく寂しさに心細くなる。
一人できたことを後悔する。
誰かにメールをしたくなるし、電話をしたくなる。
自分が新しい土地にいることを、いつもの土地にいる人間と会話することで再認識したい。
そうやって自分のつながりをとかく強調したくなる。
根無し草であることは、それなりに苦痛なのだ。
でもそれに慣れてしまうと、どこまでもどこまでも自分の内側に没頭できる宝物のような時間が待っている。
人ごみの中ではいやが応にも思索が遮断されてしまう視線や、会話や、音楽が何もない。
どこまでもどこまでも、自分の何倍もの大きさに思念が肥大していくのがわかる。
ばれやしない、とわかると精神はどこまでも伸びやかに広がっていく。
それが、僕の一人旅の醍醐味かもしれない。
※ ※ ※
結局入ったラーメン屋さんは別に普通の味で、しかも頼んだ餃子に頼みもしないエビが入っていた。
僕は半泣きで平らげたが、やはり盛岡まで電車で出て行って冷麺でも食うべきだったかと後悔する。
ただ、電車の時間を調べて愕然とした。
本数がすっくない。
東北の電車を舐めていた。
このあたりは車がないと本当に生活が厳しいことを改めて思い知る。
以前自転車で山形まで行った時は時刻表なんぞ見なかったから、また東京の感覚になっていた。
あわてて明日のバスの時間に間に合うような電車を検索する。
バスの出発が盛岡発9;40なので(龍泉洞に到着は11:52)
それに間に合うような電車を探したが、運良く9;12着の電車があったので一安心。
ただ、それをのがすとまた一時間ほどまたなくてはならず、
そうすると次に龍泉洞に行くバスは12時発車になり、
龍泉洞から帰りのバスが盛岡につくのは18時くらいになる。
新幹線のチケットは危惧したとおり北上出発になっているので、
盛岡から北上までのチケットを買い足さなければならない。
これは結局安くなってはいないんじゃないかと脳裏を考えがよぎったが、苛立つだけなので
またも意識操作をする。
夜が深い。
地元で買った地酒の日本酒を煽りながら、夜の街をそぞろ歩く。
さすがに寒くなってきたが、ホテルにいちいちとりにいくのも面倒だ。
なんとなく足の向くままに北上川に出る。
東北の、ねっとりとした圧力のある、それでいて広大な夜の中で、北上川が流れていた。
かなり大きな河のはずだがあまりに闇が濃いため全貌が見えない。
おそらく、昼間に来たらそうとういい景色だろうと推察する。
ただ、夜は川は姿を変えるのだと気づく。
一度川面に降りようと思ったが、引きずり込まれるような妄想が浮かんでやめた。
明らかに夜の川には魔力がある。
質量のありそうな闇を見ながら、漠然と「暴力」という言葉が浮かぶ。
暴力
なぜかはよくわからない。
しかし目の前に浮かぶ闇にあらあらしさはみじんもない。
痛くも痒くもない。でも、浮かんでは浮かんでは消えなかった。
暴力
※ ※ ※
次の日、ぼくは呆然と盛岡駅のバスターミナルにいた。
今の時刻
9:41。
清掃のおばちゃんに声をかける。
「あの、龍泉洞に行くバスってもう行っちゃいましたか?」
五分前。
9:36バスが到着。
乗り込もうとした時に気がつく。
うんこしたい
っつうか、これは下痢ですね。この痛さ。
素早く車中を見る。夜行バスではないのでトイレの設備はない。
これで二時間はきつい。無理だ。負ける。うんこに負ける。
僕はトイレに走った。
3分でして、1分で帰る。
一瞬、大して乗客もいないのでちょっとだけ運転手さんに待ってもらおうと言おうと思ったが、
ひとまずトイレに走る。
そして、
「あ、さっき出ちゃいましたよバス」
おばちゃん!!!
あ、おばちゃん関係ないや。あたってどうする。
ま、僕のうんこも出ちゃったんですけどね、って言おうとして、やめる。
そんなことしたら自らの切なさに自死してしまいそうだ。
っていうか本当に運転手さんに一言いっておけばよかった。
途方にくれる。
みどりの窓口に聞いたところ、指定席の時間変更ができないとのこと。
たぶんホテルの宿泊券とセットになっているためだろう。
ううううううううんんんん。
ここまで来て龍泉洞を見ないで帰るのはやりたくない。
かといって電車が通っている場所でもない。
まさか乗車5分前にこんなミラクル・ストマクエックがくるとは思っていなかった。
僕は眦を決して、バスのチケットを払い戻しタクシー乗り場に向かった。
「あの、龍泉洞ってどのくらいかかりますか?」
「え、龍泉洞ってあの龍泉洞?」
「はい」
「うーん、乗せたことないけど、・・・・・まあ2時間かそころかなぁ」
となると今すぐ出発すれば、バスと大して変わらない時間に到着するはずだ。
「あの、料金は・・・・?」
「いや、よくわかんないけど・・まあ1万5千か2万くらいかなぁ・・・・?」
大散財だな。
でも決断は早くしなければ。
「わかりました。ありがとうございます」
僕はなるべく無感覚になってお金をおろし、次のタクシーで龍泉洞に向かった。
心の中でまた無駄金使ったぞーと騒いでいる奴がいるが、また考えないことにする。
※ ※ ※
1万5千でようやく龍泉洞にたどり着いた。
本当は2万をゆうに越えていたはずだが、タクシーのおっちゃんと二時間くらい
わきあいあいと喋っていたら、だまってタクシーのメーターを止めてくれた。
ありがとうおっちゃん。
車内では東北の大震災に始まり、実に様々な話をした。
最近では一日働いて1万5千ももらわないことも多いらしい。
でも、ありがとうおっちゃん。
一段と空気が、冷える。
周りには本当に龍泉洞以外何もない山である。
ちょっと雨が降っていた。
龍泉洞内部は、見事な鍾乳洞だ。
気温は一年を通じておよそ12℃。湿度は98%。
触れたことのない空気に心が踊る。
胎内じみた狭い通路を抜けると、ごうううと凄い音を立てて地下水が流れている。
その透明度。
凄まじい透明度。
ここに落ちたら絶対に助からない気がする。
いくつかの地底湖を経て、ようやく一番深い地底湖にたどり着く。
東日本大震災で一時期透明度が落ちたらしいが、それも落ち着いている。
どれくらい透明かというと、80m下まで一円玉が見えるくらいに透明。
あいにく前日の雨で水滴が激しく湖面を揺らしているため、うまく水底が見えない。
よっぽどゴーグルをつけて直接中を覗き込んでやろうかと思った。
一般公開されているのはここまでだが、奥にはさらに深い泉があることが推定されている。
しかし、あまりに危険で、調査開始から40年たってもまだ完全に解明されてはいない。
一件透明に見えるが、壁の表面に付着した堆積物は少し触れただけでもくもくとダイバーをおおってしまう。
そなると右も左も上も下もわからなくなり、パニックになって酸素をいたずらに消費して、
やがて窒息して永遠にこの泉から出られなくなる。
僕は、この透明で冷たい世界に、死んだダイバーがひっそりと浮かんでいる姿を想像した。
どこまでもどこまでも透明な世界に、動かない死体がひとつ。
何か恐怖とともに憧れに似たような感情がせり上がる。
僕は周りに人がいないことを確認して、一円玉を取り出して、泉に投げてみた。
ゆらゆらと左右に揺れながら、一円玉が降りていく。
時々証明を鋭く反射させながら、なるほどどこまでも落ちていく。
ずっと見えている。
透明度が高いということは、貧栄養湖であるということである。
つまり栄養がない、生き物がいないということである。
徹底的に死の世界なのだ。
だから腐敗も進まないのではないだろうか。
この徹底した死の世界に嫌でも惹かれてしまうこの生命の気持ちはどこから来るのだろう?
※ ※ ※
新幹線に乗って都会に近づくにつれて、だんだんもとの精神状態に戻っていく。
思念の幅は徐々に狭くなっていき、新宿に着く頃には大体身の丈と同じくらいに収まっていく。
本当はこの岩手旅行のことは書く事をせずに、次の作品に活かそうと思っていた。
でも書いてみて、僕があの地底湖で感じたことは全然踊りにも変換できると思った。
書く事と踊ることは違うのだろう。
まあだし口の問題だと思うけど。
また、暇になったら旅に出よう。
2012-09-25
かたまり
怒涛の9月が終わった。
何が怒涛かというと本番ががっつり二つあったのだ。
ひとつはかえるP。もう一つはグラインダーマン。
どちらも全く違った作品で、とても経験になった。
最近、自分が以前より変化しているなあと感じることが多い。
特に感受性・・っていうとよくわからん。
影響を受けるものと受けないものが変わってきた。
例えば夕焼け
以前は夕焼けを見るのがすっごい好きだった。
特に今の季節。
でも今は違う。
見ているとずるいなって思う。
ほとんどすべての人が感傷的になるなんてずるいじゃないか。
でも今日久々に夕焼けを見て心が
ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃってなった。
悲鳴じゃなくて
吹き抜けるような、音。ひぃっぃっぃぃぃっぃっぃぃぃぃいっぃぃいぃ。
そんで、保育園のころ好きだった女の子にばったり出くわした。
彼女は当時フリルを着ていた。
僕は彼女というよりも白いフリルが好きだった。
フリルの不規則な波型にただよう香りが好きだった。
ほかにフリルをきている子はいなかったのだろうか?
いたかもしれないけど、記憶にない。
だから多分彼女が着ているフリルじゃないとダメだったのだ。
保育園をいま外から見るとなんて自由に遊んでいるんだと思うけど、
実は全然自由じゃない。
お絵かきしなきゃいけないし、歌を歌わなきゃいけないし、寝なきゃいけないし。
本当に好きに遊んでいられたのは夕方以降だった。
小さいきのこのおうちの中に居た。
彼女は何事かをずっと話していた。
僕は話していただろうか。でも相槌くらいじゃないだろうか。
僕は子供の頃から相槌を打っているという自覚があった。
何故か校舎と同じくらい大きな鳥小屋があって、太陽は見えなかった。
でもそらが染まっていた。
でもやっぱり彼女が好きだったんだろう。
フリルが好きだったけど、あの時間が好きだったんだろう。
あの、「ガちっ!」とはまる感覚。
時間に、場所に、なんの狂いもなくあてはまる感覚。
夕、焼け
目の前を通り過ぎていった女の子はフリルは着ていなかった。
青い色のアメを舐めていた。
いったい何味だったんだろう。
何が怒涛かというと本番ががっつり二つあったのだ。
ひとつはかえるP。もう一つはグラインダーマン。
どちらも全く違った作品で、とても経験になった。
最近、自分が以前より変化しているなあと感じることが多い。
特に感受性・・っていうとよくわからん。
影響を受けるものと受けないものが変わってきた。
例えば夕焼け
以前は夕焼けを見るのがすっごい好きだった。
特に今の季節。
でも今は違う。
見ているとずるいなって思う。
ほとんどすべての人が感傷的になるなんてずるいじゃないか。
でも今日久々に夕焼けを見て心が
ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃってなった。
悲鳴じゃなくて
吹き抜けるような、音。ひぃっぃっぃぃぃっぃっぃぃぃぃいっぃぃいぃ。
そんで、保育園のころ好きだった女の子にばったり出くわした。
彼女は当時フリルを着ていた。
僕は彼女というよりも白いフリルが好きだった。
フリルの不規則な波型にただよう香りが好きだった。
ほかにフリルをきている子はいなかったのだろうか?
いたかもしれないけど、記憶にない。
だから多分彼女が着ているフリルじゃないとダメだったのだ。
保育園をいま外から見るとなんて自由に遊んでいるんだと思うけど、
実は全然自由じゃない。
お絵かきしなきゃいけないし、歌を歌わなきゃいけないし、寝なきゃいけないし。
本当に好きに遊んでいられたのは夕方以降だった。
小さいきのこのおうちの中に居た。
彼女は何事かをずっと話していた。
僕は話していただろうか。でも相槌くらいじゃないだろうか。
僕は子供の頃から相槌を打っているという自覚があった。
何故か校舎と同じくらい大きな鳥小屋があって、太陽は見えなかった。
でもそらが染まっていた。
でもやっぱり彼女が好きだったんだろう。
フリルが好きだったけど、あの時間が好きだったんだろう。
あの、「ガちっ!」とはまる感覚。
時間に、場所に、なんの狂いもなくあてはまる感覚。
夕、焼け
目の前を通り過ぎていった女の子はフリルは着ていなかった。
青い色のアメを舐めていた。
いったい何味だったんだろう。
2012-07-09
古谷くん
旅先で古谷くんと再会した。
旅といっても神奈川にちょっと原チャで行くくらいのことだったけれど。
古谷くんはとてもよくしゃべる。
現在はブリヂストンの営業部で毎年トップ成績だった彼の先輩が起業したベンチャーの会社にいる。
といってもタイヤ関係ではなく、企業の中だけで出回るような社内誌の出版の仲介業をしている会社だ。
隙間産業のようだが儲かるのかと聞くと、なかなかに儲かっているらしい。
あくまでも仲介業なので印刷所のような設備投資は必要ないし、数社と契約することでリスクを分散しているので大丈夫だと言う。
必要なのは顧客の信頼を勝ちうるためのコミュニケーション力だと言う。
古谷くん自身も大会社の重役やらと飲みに行ったりしていろいろ話を聞いたりしている。
最近はゴルフを練習し始めたが、一度は三菱重工の部長とラウンドを共にして一本100万のアイアンを握ったときは手が震えたという。
その先輩から自分でも起業しろと勧められていて、でもまだ人脈と資金力が足りないので機をうかがっているとのことだった。
僕は彼の話に時々相槌を打ちつつ、セブンイレブンの前でおごってもらったアセロラウォーターを飲んでいた。
彼は中学の時に一緒の学校だった。
明るくてルックスがそこそこ良くて、運動全般ができて、誰とでもしゃべれる感じのタイプの人だった。
10何年かぶりに再会したのに、見知らぬ街で気安く声をかけてきたのも古谷くんらしい。
そしてつかまったらとことんしゃべりだす。
あと、ボディータッチが結構多い。
僕は聞いているだけで時々ちょっとした相槌を打つだけで長々と喋ってくれるので、楽だ。
会社の話から、服の話、自分の将来の話。
際限なく話は移り変わっていく。古谷くんの口から滝のように言葉が僕に降り注ぐ。
中学の頃に彼は最初、一番不良っぽいグループにいた。
それがいつの間にかもうちょっと大人しいグループにいた。
卒業する頃にはできれば相手にしたくないと誰からも思われていた。
僕は時々彼につかまるとやっぱり今みたいにずうっと話を聞いていた。
ある時彼は当時流行っていたゲームソフトをいち早く購入した。
みんな彼のゲームの進捗状況を知りたがった。
でもこばやし君という人が同じゲームを購入し、悪戯をしかけた。
そのゲームの中には存在しないアイテムのことを語りだした。
そうしたら古谷くんも「あぁ、それねそれね」と言ってありもしないアイテムのことを語りだした。
あるとき彼はいち早く携帯電話を手に入れた。
大学生に知り合いがいると言ってトイレに入っていった。
僕の友達が上から覗き込むと携帯をもっている体で虚空に向かって話しかけていた。
古谷くんは病的に嘘つきだ。
彼は一見すると明るくて「いけてる」感じの空気をまとっている。
だが、彼は最初こそみんな親しく話すものの、すぐに飽きられる。
内面にはまったく実がないことがすぐに露見してしまう。
だから嘘をつく。
というか、一番最初に話すときにかならず自慢混じりの嘘をついてしまうのだ。
そうするとその嘘を成立させるためにまた嘘を重ねなければならず、
彼の言葉は異様なほど空疎になっていく。
だから僕に話したことも全て嘘だ。
古谷くんにはこれといった取り柄がない。
なんでもできるように見えるが、実は何一つ抽んでたものがない。
本当に賢い処世は正直に全て言ってしまうことだ。
でも古谷くんは自分の失敗を隠す。嘘で、隠してしまう。
嘘を成立させるために別の嘘を用意し、その向こう側にもっと嘘をつく。
最終的に一歩も進めなくなる。
そして嘘が露見した場所から逃げる。
寂しいから別の場所に行く。
そこでまた小さな嘘をついてしまう。
繰り返す。
真心とかそういうあたたかいものからもっとも遠い存在である。
そして同じく僕にも全く真心というものがないので
全部嘘だとわかった上で相槌をうっている。
僕の言葉にもまったく実がない。
なのに呆然としてどうしても彼から離れられない。
つらくない人なんてこの世にはいないだろうけど。
よくないよくない。
こんなふうに話しているのはよくない。
でも彼のいる地獄が僕にはわかる。
古谷くんが救われる道はないものか。
彼のいる地獄は特級だ。
旅といっても神奈川にちょっと原チャで行くくらいのことだったけれど。
古谷くんはとてもよくしゃべる。
現在はブリヂストンの営業部で毎年トップ成績だった彼の先輩が起業したベンチャーの会社にいる。
といってもタイヤ関係ではなく、企業の中だけで出回るような社内誌の出版の仲介業をしている会社だ。
隙間産業のようだが儲かるのかと聞くと、なかなかに儲かっているらしい。
あくまでも仲介業なので印刷所のような設備投資は必要ないし、数社と契約することでリスクを分散しているので大丈夫だと言う。
必要なのは顧客の信頼を勝ちうるためのコミュニケーション力だと言う。
古谷くん自身も大会社の重役やらと飲みに行ったりしていろいろ話を聞いたりしている。
最近はゴルフを練習し始めたが、一度は三菱重工の部長とラウンドを共にして一本100万のアイアンを握ったときは手が震えたという。
その先輩から自分でも起業しろと勧められていて、でもまだ人脈と資金力が足りないので機をうかがっているとのことだった。
僕は彼の話に時々相槌を打ちつつ、セブンイレブンの前でおごってもらったアセロラウォーターを飲んでいた。
彼は中学の時に一緒の学校だった。
明るくてルックスがそこそこ良くて、運動全般ができて、誰とでもしゃべれる感じのタイプの人だった。
10何年かぶりに再会したのに、見知らぬ街で気安く声をかけてきたのも古谷くんらしい。
そしてつかまったらとことんしゃべりだす。
あと、ボディータッチが結構多い。
僕は聞いているだけで時々ちょっとした相槌を打つだけで長々と喋ってくれるので、楽だ。
会社の話から、服の話、自分の将来の話。
際限なく話は移り変わっていく。古谷くんの口から滝のように言葉が僕に降り注ぐ。
中学の頃に彼は最初、一番不良っぽいグループにいた。
それがいつの間にかもうちょっと大人しいグループにいた。
卒業する頃にはできれば相手にしたくないと誰からも思われていた。
僕は時々彼につかまるとやっぱり今みたいにずうっと話を聞いていた。
ある時彼は当時流行っていたゲームソフトをいち早く購入した。
みんな彼のゲームの進捗状況を知りたがった。
でもこばやし君という人が同じゲームを購入し、悪戯をしかけた。
そのゲームの中には存在しないアイテムのことを語りだした。
そうしたら古谷くんも「あぁ、それねそれね」と言ってありもしないアイテムのことを語りだした。
あるとき彼はいち早く携帯電話を手に入れた。
大学生に知り合いがいると言ってトイレに入っていった。
僕の友達が上から覗き込むと携帯をもっている体で虚空に向かって話しかけていた。
古谷くんは病的に嘘つきだ。
彼は一見すると明るくて「いけてる」感じの空気をまとっている。
だが、彼は最初こそみんな親しく話すものの、すぐに飽きられる。
内面にはまったく実がないことがすぐに露見してしまう。
だから嘘をつく。
というか、一番最初に話すときにかならず自慢混じりの嘘をついてしまうのだ。
そうするとその嘘を成立させるためにまた嘘を重ねなければならず、
彼の言葉は異様なほど空疎になっていく。
だから僕に話したことも全て嘘だ。
古谷くんにはこれといった取り柄がない。
なんでもできるように見えるが、実は何一つ抽んでたものがない。
本当に賢い処世は正直に全て言ってしまうことだ。
でも古谷くんは自分の失敗を隠す。嘘で、隠してしまう。
嘘を成立させるために別の嘘を用意し、その向こう側にもっと嘘をつく。
最終的に一歩も進めなくなる。
そして嘘が露見した場所から逃げる。
寂しいから別の場所に行く。
そこでまた小さな嘘をついてしまう。
繰り返す。
真心とかそういうあたたかいものからもっとも遠い存在である。
そして同じく僕にも全く真心というものがないので
全部嘘だとわかった上で相槌をうっている。
僕の言葉にもまったく実がない。
なのに呆然としてどうしても彼から離れられない。
つらくない人なんてこの世にはいないだろうけど。
よくないよくない。
こんなふうに話しているのはよくない。
でも彼のいる地獄が僕にはわかる。
古谷くんが救われる道はないものか。
彼のいる地獄は特級だ。
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