ひょっとこ乱舞が終わった瞬間にあった輝く未来のイベント出演が終わった。
夏合宿の参加者を集めてのイベント。
まさにお祭りだった。
ひとまずは怪我もなく終わった。
今回は色々あって振り付けは伊藤キムさんが行った。
「もう振り付けはしない」と2007年に宣言していたが、
まだ僕らメンバーが色々と関係性もダンサーとしても定まっていなかったために
キムさんが(まあ割と一方的に)自分で振り付けをすることを決めた。
全体としてつまらないものではなかったと思う。
でも、面白いものでもなかったと思う。
キムさんが振り付けならまあ失敗はしないだろうと踏んでいた。
でも、微妙な違和感は残っていた。
本番が終わったあと
キムさんは恐ろしく疲れた顔をしていた。
舞台袖にキムさんはみんなを集めて
「みんなは凄くがんばってくれたけど、なんだろう・・・
僕はちょっと、まあ稽古中にもチラッと言ったんですけど・・ちょっとこの作品を、うーん、
どこに絞って良いのかって言うか、どこに焦点を当てれば良いのかわからなくてですね、
昔、バリバリ作品を作っているときはどんどんアイディアがでてきたんですけど、
ちょっとやっぱり、・・振り付けをしなくなって時間が空いたからか、全然思い浮かばなくてですね・・
なんか、最後までちょっと良くわからなかったです。
僕はこの作品を通じて皆さんに、ダンスをうまくなってほしいとかは全然考えてなくて
むしろ、何かひとつのことをやり遂げるためにどれだけのものをこう・・注がなければいけないか、
っていう、何か、魂のようなものを伝えたかったんですが・・・・・・・・・・うん・・・・・・・・・
全然だめでしたね。
今回僕は全然だめでした。
本当に申し訳ありませんでした」
と言って謝った。
キムさんはお詫びにもならないけどといってみんなに自分のヒストリーDVDを渡した。(絶賛発売中「glorious future?」)
その後、
車を家に置いてくるといって
僕に「もしも」の時のために打ち上げ代金を渡し
キムさんは
打ち上げに来なかった。
僕に渡したお金は15万。
はじめからきっと来る気なんかなかったのだ。
打ち上げ会場では
まあ笑い話にしてしまった。
「大学生の主催かよ!」って感じ。
でもさ、
まじめになんか話せないよ。
家に帰ってキムさんのヒストリーDVDを深夜まで見て
若いころの映像を見てさらに悲しくなった。
恐ろしいほど輝いていた
嘘だろって言うくらい
今最先端だとか言われているダンサーと同時代に存在しても
確実に蹴散らされていたであろう圧倒的なダンサーが
映像の中にいた。
決してお世辞にも器用な人間ではない
ダンスしかできないし、それで生きてきた。
頭固いし、何考えてるかわからないし、言葉足らずだし、子供っぽいし、
その男が枯れてきた才能を自覚し
それでもダンスを通して社会とつながるために何ができるかを必死に模索している。
そしてそのダンスを通して何もできなかったと言う無力感を
暗い部屋で一人でかみ締めている姿を思うと。
もうどうにもやりきれない。
それは孤独だ。
背筋が寒くなるほどの。
圧倒的な孤独だ。
とてもじゃないけどまじめになんか語れないよ。
でも同時に思ったのは、
あなたは悲しい。
だけど俺は先に行くよ。
僕はすくなくともあと一年は輝く未来にいる。
2010-07-20
2010-07-05
本番終了
ひょっとこ乱舞の本番が終わった。
見に来てくれた人たちは本当にありがとうございました。
今日はぐっすり&また服を衝動買い。
また黒と白ばっか。
お芝居は久しぶりだったけど
なんか、最初は多分芝居というものを舐めていたと思う。
最後の最後まで試行錯誤の連続だった。
ものすごく勉強になった。
身体的な感覚だけを頼りにやろうとしていたけど
全然足りなかった。
台詞があって他人がいて場所があって
よく考えればわかりそうなものだけど
甘かった。
台本が来なくてずっとボディワークショップをやっていたのも逆に幸いだった。
ダンサーの本来専売特許である体のとても大切な感覚が
俳優の人たちでも十分に体現可能なのだと思った。
かなり大きな収穫。
芝居自体もなんだかとても雰囲気が良くて好きな作品だった。
大楽までのびのびとした感覚ではやれなかったけど。
それがまだまだ俳優として未熟なところ。
次はもうすぐ輝く未来の本番。
体は動く。
その先をどうするかってのがようやく見えてきた。
体を使って何をするかって言うこと。
その先。
見に来てくれた人たちは本当にありがとうございました。
今日はぐっすり&また服を衝動買い。
また黒と白ばっか。
お芝居は久しぶりだったけど
なんか、最初は多分芝居というものを舐めていたと思う。
最後の最後まで試行錯誤の連続だった。
ものすごく勉強になった。
身体的な感覚だけを頼りにやろうとしていたけど
全然足りなかった。
台詞があって他人がいて場所があって
よく考えればわかりそうなものだけど
甘かった。
台本が来なくてずっとボディワークショップをやっていたのも逆に幸いだった。
ダンサーの本来専売特許である体のとても大切な感覚が
俳優の人たちでも十分に体現可能なのだと思った。
かなり大きな収穫。
芝居自体もなんだかとても雰囲気が良くて好きな作品だった。
大楽までのびのびとした感覚ではやれなかったけど。
それがまだまだ俳優として未熟なところ。
次はもうすぐ輝く未来の本番。
体は動く。
その先をどうするかってのがようやく見えてきた。
体を使って何をするかって言うこと。
その先。
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