先日、例によって一人旅で岩手県の龍泉洞に行ってきた。
龍泉洞は日本三大地底湖の一つで、その透明度は世界一を誇る。
本当は2泊3日で盛岡周辺も回るつもりだったけれど、バイトに入らなくちゃいけなかったりして
結局1泊の旅となった。
龍泉洞は盛岡からもバスで2時間ほどかかるので、(しかも本数は日に4本)
本当にただ龍泉洞にいって帰ってくるだけの旅になった。
チケットは往復の新幹線とホテル代がコミコミで安くなっているものを買ったので、
帰りの新幹線の時間も指定されていて、本当に時間的余裕がなかった。
まあ正直なところ龍泉洞以外に盛岡で見たいものもなかったので、もったいないような気もするけど、
そこのところは微妙に意識操作をして旅立った。
行きの新幹線の車中ではやばいかなぁやばいかなぁと思いつつ、詩に手を出す。
ボルヘスはたいしたことなかったけれど、ウィリアム・ブレイクという英国の詩人に打たれた。
打たれた。と言っていい。圧倒的なヴィジョンだった。
そうかこれが詩人か、と嘆息する。
しかし、福島県を越えたあたりで、新幹線のチケットが盛岡よりも手前の北上までのチケットであることに気がつく。
まあ路線上ではひと駅ふた駅なのでさして問題はないかと思う。
それよりもウィリアム・ブレイクだと、再び取り掛かる。
※ ※ ※
北上は東北の空気だった。
あの、どこか陰鬱で物寂しい空気が駅を出た僕を包む。
岩手第二の都市だと聞いていたけれど、やはりこの寂しさは東北ならではだ。
とりあえずホテルにチェックインしてから、街をぶらぶらする。
かなり寒いことを聞いていたので、防寒用のジャケットやマフラーをカバンに詰めてきたが、
面倒なので着てこなかった。
街をぶらつきながら、今日は何を食べようか思案する。
ごりごりの地元の飲み屋に突入するのもいいし、あえてラーメン屋とかに行くのもいいし。
作品のことを考えたり、自分のことや過去のことを考えたり、内側の言葉がどんどん肥大していく。
東京の人ごみの中では決してこういう状態になることは無い。
2時間ほどぶらついてほとんど人とすれ違わない地方都市ならではの状態だと思う。
この空気に馴染まないうちははっきり言ってとにかく寂しさに心細くなる。
一人できたことを後悔する。
誰かにメールをしたくなるし、電話をしたくなる。
自分が新しい土地にいることを、いつもの土地にいる人間と会話することで再認識したい。
そうやって自分のつながりをとかく強調したくなる。
根無し草であることは、それなりに苦痛なのだ。
でもそれに慣れてしまうと、どこまでもどこまでも自分の内側に没頭できる宝物のような時間が待っている。
人ごみの中ではいやが応にも思索が遮断されてしまう視線や、会話や、音楽が何もない。
どこまでもどこまでも、自分の何倍もの大きさに思念が肥大していくのがわかる。
ばれやしない、とわかると精神はどこまでも伸びやかに広がっていく。
それが、僕の一人旅の醍醐味かもしれない。
※ ※ ※
結局入ったラーメン屋さんは別に普通の味で、しかも頼んだ餃子に頼みもしないエビが入っていた。
僕は半泣きで平らげたが、やはり盛岡まで電車で出て行って冷麺でも食うべきだったかと後悔する。
ただ、電車の時間を調べて愕然とした。
本数がすっくない。
東北の電車を舐めていた。
このあたりは車がないと本当に生活が厳しいことを改めて思い知る。
以前自転車で山形まで行った時は時刻表なんぞ見なかったから、また東京の感覚になっていた。
あわてて明日のバスの時間に間に合うような電車を検索する。
バスの出発が盛岡発9;40なので(龍泉洞に到着は11:52)
それに間に合うような電車を探したが、運良く9;12着の電車があったので一安心。
ただ、それをのがすとまた一時間ほどまたなくてはならず、
そうすると次に龍泉洞に行くバスは12時発車になり、
龍泉洞から帰りのバスが盛岡につくのは18時くらいになる。
新幹線のチケットは危惧したとおり北上出発になっているので、
盛岡から北上までのチケットを買い足さなければならない。
これは結局安くなってはいないんじゃないかと脳裏を考えがよぎったが、苛立つだけなので
またも意識操作をする。
夜が深い。
地元で買った地酒の日本酒を煽りながら、夜の街をそぞろ歩く。
さすがに寒くなってきたが、ホテルにいちいちとりにいくのも面倒だ。
なんとなく足の向くままに北上川に出る。
東北の、ねっとりとした圧力のある、それでいて広大な夜の中で、北上川が流れていた。
かなり大きな河のはずだがあまりに闇が濃いため全貌が見えない。
おそらく、昼間に来たらそうとういい景色だろうと推察する。
ただ、夜は川は姿を変えるのだと気づく。
一度川面に降りようと思ったが、引きずり込まれるような妄想が浮かんでやめた。
明らかに夜の川には魔力がある。
質量のありそうな闇を見ながら、漠然と「暴力」という言葉が浮かぶ。
暴力
なぜかはよくわからない。
しかし目の前に浮かぶ闇にあらあらしさはみじんもない。
痛くも痒くもない。でも、浮かんでは浮かんでは消えなかった。
暴力
※ ※ ※
次の日、ぼくは呆然と盛岡駅のバスターミナルにいた。
今の時刻
9:41。
清掃のおばちゃんに声をかける。
「あの、龍泉洞に行くバスってもう行っちゃいましたか?」
五分前。
9:36バスが到着。
乗り込もうとした時に気がつく。
うんこしたい
っつうか、これは下痢ですね。この痛さ。
素早く車中を見る。夜行バスではないのでトイレの設備はない。
これで二時間はきつい。無理だ。負ける。うんこに負ける。
僕はトイレに走った。
3分でして、1分で帰る。
一瞬、大して乗客もいないのでちょっとだけ運転手さんに待ってもらおうと言おうと思ったが、
ひとまずトイレに走る。
そして、
「あ、さっき出ちゃいましたよバス」
おばちゃん!!!
あ、おばちゃん関係ないや。あたってどうする。
ま、僕のうんこも出ちゃったんですけどね、って言おうとして、やめる。
そんなことしたら自らの切なさに自死してしまいそうだ。
っていうか本当に運転手さんに一言いっておけばよかった。
途方にくれる。
みどりの窓口に聞いたところ、指定席の時間変更ができないとのこと。
たぶんホテルの宿泊券とセットになっているためだろう。
ううううううううんんんん。
ここまで来て龍泉洞を見ないで帰るのはやりたくない。
かといって電車が通っている場所でもない。
まさか乗車5分前にこんなミラクル・ストマクエックがくるとは思っていなかった。
僕は眦を決して、バスのチケットを払い戻しタクシー乗り場に向かった。
「あの、龍泉洞ってどのくらいかかりますか?」
「え、龍泉洞ってあの龍泉洞?」
「はい」
「うーん、乗せたことないけど、・・・・・まあ2時間かそころかなぁ」
となると今すぐ出発すれば、バスと大して変わらない時間に到着するはずだ。
「あの、料金は・・・・?」
「いや、よくわかんないけど・・まあ1万5千か2万くらいかなぁ・・・・?」
大散財だな。
でも決断は早くしなければ。
「わかりました。ありがとうございます」
僕はなるべく無感覚になってお金をおろし、次のタクシーで龍泉洞に向かった。
心の中でまた無駄金使ったぞーと騒いでいる奴がいるが、また考えないことにする。
※ ※ ※
1万5千でようやく龍泉洞にたどり着いた。
本当は2万をゆうに越えていたはずだが、タクシーのおっちゃんと二時間くらい
わきあいあいと喋っていたら、だまってタクシーのメーターを止めてくれた。
ありがとうおっちゃん。
車内では東北の大震災に始まり、実に様々な話をした。
最近では一日働いて1万5千ももらわないことも多いらしい。
でも、ありがとうおっちゃん。
一段と空気が、冷える。
周りには本当に龍泉洞以外何もない山である。
ちょっと雨が降っていた。
龍泉洞内部は、見事な鍾乳洞だ。
気温は一年を通じておよそ12℃。湿度は98%。
触れたことのない空気に心が踊る。
胎内じみた狭い通路を抜けると、ごうううと凄い音を立てて地下水が流れている。
その透明度。
凄まじい透明度。
ここに落ちたら絶対に助からない気がする。
いくつかの地底湖を経て、ようやく一番深い地底湖にたどり着く。
東日本大震災で一時期透明度が落ちたらしいが、それも落ち着いている。
どれくらい透明かというと、80m下まで一円玉が見えるくらいに透明。
あいにく前日の雨で水滴が激しく湖面を揺らしているため、うまく水底が見えない。
よっぽどゴーグルをつけて直接中を覗き込んでやろうかと思った。
一般公開されているのはここまでだが、奥にはさらに深い泉があることが推定されている。
しかし、あまりに危険で、調査開始から40年たってもまだ完全に解明されてはいない。
一件透明に見えるが、壁の表面に付着した堆積物は少し触れただけでもくもくとダイバーをおおってしまう。
そなると右も左も上も下もわからなくなり、パニックになって酸素をいたずらに消費して、
やがて窒息して永遠にこの泉から出られなくなる。
僕は、この透明で冷たい世界に、死んだダイバーがひっそりと浮かんでいる姿を想像した。
どこまでもどこまでも透明な世界に、動かない死体がひとつ。
何か恐怖とともに憧れに似たような感情がせり上がる。
僕は周りに人がいないことを確認して、一円玉を取り出して、泉に投げてみた。
ゆらゆらと左右に揺れながら、一円玉が降りていく。
時々証明を鋭く反射させながら、なるほどどこまでも落ちていく。
ずっと見えている。
透明度が高いということは、貧栄養湖であるということである。
つまり栄養がない、生き物がいないということである。
徹底的に死の世界なのだ。
だから腐敗も進まないのではないだろうか。
この徹底した死の世界に嫌でも惹かれてしまうこの生命の気持ちはどこから来るのだろう?
※ ※ ※
新幹線に乗って都会に近づくにつれて、だんだんもとの精神状態に戻っていく。
思念の幅は徐々に狭くなっていき、新宿に着く頃には大体身の丈と同じくらいに収まっていく。
本当はこの岩手旅行のことは書く事をせずに、次の作品に活かそうと思っていた。
でも書いてみて、僕があの地底湖で感じたことは全然踊りにも変換できると思った。
書く事と踊ることは違うのだろう。
まあだし口の問題だと思うけど。
また、暇になったら旅に出よう。