当然のことだけれど,
その場所によって求められる能力と言うのは違う。
どこへ行っても過去の自分を一度リセットして
何でも吸収できる柔軟な頭でいる事が必要なのだと思うようになった。
ある場所で全力で打ち込んで培ったり学んだりして得たものを
ふっと脱いでまっさらでいることはとても難しいことだ。
でもそんな勇気があれば怖いものなんてないと思う。
「栄光を得ることは難しい,でもその栄光を忘れることはもっと難しい」
と誰かが言っていた。
まあ栄光なんて得てないんだけども
先に進むためにはすがり付いてるだけじゃダメって事だ。
先日ある有名なコンテンポラリーダンサーのワークショップに行って
何もできなかった自分がいた。
ただ今考えてみても彼の進んでいる方向は明らかに間違っていると思った。
俗に言う現代劇術と言うのだろうか
ノイズとか生活音だけで音楽を作ったりするあの系統だ。
観客を壁に張り付かせたり床に寝かせたりダンスを見せなかったり
誰のためにやってんだよって思う。
そういうのは要は自分がどれだけIQが高いかだけを競うものなので
「けっ」って思う。
新しいことなんかもういいよ。
他者とどう向き合っていくかの方が重要なんじゃないのか。
その他者が友達でも社会でも神でも木でも虫でも自分でも良いけど。
なんてこととは別に,
自分自身へのダメだしとして
そんな場所でもまっさらになれれば何か変わったのかもしれないと言うことだった。
過去のメソッドや経験に固執して
流れに乗れない自分がずっと口惜しかった。
なんのダンス技術もない人のほうがどれだけ自然で魅力的だったろうか。
ここのところ
2年間ずっと続けてきたミーム(ダンス?の一種)を辞めたり
やっぱり2年以上付き合っていた彼女と別れたり
それこそ好き勝手に創作して遊びまくった大学を卒業したりと
とんでもなくもがきながら必死で地ならしして作り上げた
「居やすい場所」と決別してきた。
また一から出直しだ。
まあでも自分で選んだんだから仕方が無い。
思えばいつも
安定した秩序に恐怖感を持っていた。
なんでわざわざきついところに身を置くのか。
感謝もしているし恨みがましくもあるこの性格。
リセットしてリセットして
でも今のスタート地点は前のスタート地点よりも確実に前にあるんだぜ。
ひとまずあと12~3年は
わき目も振らずに走り抜けよう。
2009-07-23
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